第84話 岩鏡の花(16)水精山⑦

文字数 1,351文字

 「小姓とて人。困憊の日もある。
寝所でそこまで気遣うことはない」

 「もったいのうございます」

 背に尚も頬が押し付けられた。

 「如何した。妙であるぞ」

 闊達な勝丸が今夜はいつもと違い、
悩まし気な風情を纏っているように思われた。

 「さすれば……申し上げます」

 勝丸の(つばき)を飲む音が聞かれたような気がした。

 「若殿。お護りする御小姓を、
増やされては如何ですか」

 「それは寝所でという意味か」

 「はい」

 三郎が元服をして信忠の閨房を離れた今、
夜毎、過ごす相手は勝丸だけとなっていた。

 効率的に子を増やす必要性から、
信長のみならず、
武将達は側室を持つ者が多い。
 同時、女は子を産むもの、
色恋は小姓とせよという風潮があるのも確かで、
戦場で生死を共にしようというのであるから、
衆道の契りは異性との関係よりも強く、
高いものだとされていた。

 「勝が居る。十分だ」

 信忠は勝丸の手を握った。

 「三郎が何か言ったのか」

 三郎は信忠の仙千代に対する思いを知っている。
勝丸も、おそらく察している。

 「何も。
我ら従者が主の居られぬところで、
御心にまで踏み込んで語るなど。
三郎殿は左様なことを好まれません」

 「身がもたぬということか。勝一人では」

 信忠の寂寥、孤独を案じた勝丸が、
気を利かせ、告げているのだと知れる。

 二年前、長月。
 岐阜城 小姓館。
 月が美しく、鈴虫は澄んだ声を響かせていた。
 館の前の筵桟敷(むしろさじき)で、
甘麹酒を小姓達に振る舞われていた美童を三郎が見付け、
信忠を連れてゆき、
仙千代に似ていると言った。

 今でこそ、信忠の心を心として、
過不足なく仕える三郎だが、
その頃は幼く、
玉越なる甲冑商の息子、清三郎には仙千代の面影がある、
信忠は気に入るのではないかと真っ直ぐ伝えた。

 信忠は、
だから何なのだ、節介を焼くなと言い放ち、
機嫌の悪さを隠さなかった。

 しかし年が改まり、
信忠は清三郎を召し寄せ、小姓とし、
然るべき武家の養子に入れて身分を与え、
寵愛した。

 勝丸が信忠に仕えることとなった時、
三郎も清三郎も既に居て、
勝丸は二人の傍で日々をすごした。
 清三郎は信忠に無垢な恋慕を捧げた。
 三郎は、信忠への親情に芯があり、
その芯は忠の一文字で堅く裏打ちされていた。

 三郎が清三郎に引き合わせた時の信忠も、
三郎同様、未熟にして青かった。
 二年を経て今夜の信忠は、
勝丸を咎めはしなかった。

 勝丸を抱き寄せると髪を撫で、唇を重ねた。

 「若殿……」

 「遠慮などするものか。
誰ぞ、これはと思う者が居れば召し上げる。
そして勝には必ず教える。前以て」

 勝丸の瞳が潤んだ。

 「その御言葉だけで十分、幸せでございます」

 暫く口づけを交わす間に信忠は(たぎ)って、
勝丸の襟を広げた。

 「若殿」

 信忠の手は勝丸の帯を解いていた。

 「うむ……」

 「お若い頃、上様は、
幾人もの若衆を侍らせておられたとお聞きします。
今後、若殿も連戦の日々を過ごされます。
戦地の夜、総大将をお護りするのに、
この勝丸一人では、」

 「荷が重いか」

 「お支えする者がもっと要りまする」

 それを言う勝丸に愛しさが募った。

 「儂が決めることじゃ。
主に注文をつけるでない」

 「若殿!……」

 勝丸は信忠の口を吸い、
背に回した手に力がこもった。
 灯明の揺らめく炎が、
勝丸の艶めく肌を妖しく照らした。

 

 


 

 
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