第391話 旅立ち(3)小木江村

文字数 1,169文字

 鯏浦(うぐいうら)を出て小木江をかすめ、
津島へ出て岐阜へ上がるという道程で、
仙千代らは出立した。
 鯏浦の果てでは振り返り、振り返り、
万見の人々、市江家の皆々、村の衆、
そして故郷の景色を目に焼き付けた。
 手を振る美稲(みね)の紅い髪飾りが、
いつまでも揺れていた。

 仙千代は病み上がり間もない小弁を案じ、
馬に乗せてやろうとしたが、

 「慣れんことすりゃあ余計に疲れる」

 と受け付けず、顔を赤くしたり、青くしたり、
時に遅れがちになったり、走って追い付いたり、
万見の養父(ちち)が言うように、
たいした根性を見せた。

 「儀長城の餅つきの日をまたも思い出しますなあ。
小さな仙千代は儂らの後を追って、
必死に付いてきた」

 と彦七郎。
 彦八郎も、

 「あれはたった五年前。
小弁のあの着物も覚えが。
 殿は冬場にあれをよく着ておられた」

 仙千代は目を細めた。

 「あの着物。
 残しておられたのだな、養母(はは)上は。
しょちゅう儂が破るのをいつも繕って下さった。
 あれが好きだったんじゃ。
萌黄色が似合うと養母上が言われ、
儂もそんな気になっておったのか」

 彦七郎が小弁に呼び掛けた。

 「いつでも乗せてやるぞ、馬に。
余り無理するな」

 小弁は軽く汗を滲ませながら息を白く吐き、
小走りでやって来ると、

 「何じゃろう、楽しゅうて楽しゅうて、
ほんに楽しゅうて」

 と声を弾ませた。

 名を呼ばれただけで身を硬くして、
たとえ褒められようと怯えて逃げたあの小弁は、
もう居なかった。
 伊吹おろしに向かって歩む小弁の笑顔が眩かった。

 良かった、ほんに良かった、
小弁は己の行く道を己で選び、
自らを救い、助けた……
 小弁自身の輝きが皆の心を動かしたのだ、
殿の心も……

 やがて小木江が近付くと、
想定通り、高橋兄弟が出迎えた。
 しかし、想定外だったのは、
それこそ高橋家の面々、そして村人達も参集していたことで、
虎松、藤丸は背に行李を背負っていた。

 「何だ、旅支度ではないか、それは」

 と彦七郎。

 高橋家の当主、兄弟の叔父が前に出た。

 「申し訳ございませぬ。
毎度のことで言うことをきかぬのです。
 義姉(あね)が大わらわで新たに着物を縫ったり、
あれこれ持たせようと準備を始めたところ、
岐阜では何でも買える、
そのうちには御給金も頂戴できるやもしれん、
その時に要るものは買う、
新品は要らんと。
 どうやら御一行と共に行きたい一心。
この叔父の言うことなど、聞きはせぬのです」

 兄弟は一早く小弁に目を留め、

 「叔父上!
 小弁さえもああして同行しておるのです、
遅れをとるわけにはゆきませぬ」

 「病み上がりの者に先を越されては、
口惜しい限り、負けられませぬ」

 と言い張った。

 一行は高橋兄弟が加わった。

 この童達……
上様や殿に如何に説明すれば良いものか……

 仙千代の悩ましさをよそに三人は張り切り、
足取り確かに、あくまで朗らかだった。


 

 

 
 
 




 

 

 

 

 

 
 



 
 
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