第9話 龍城(3)龍の化身③

文字数 1,339文字

  「赤子(ややこ)は居なかったのでございます」

 徳姫はさらっと告げた。

 「むっ?」

 信長を真似、仙千代、竹丸も、
つい、身を乗り出しそうになった。

 「御医者の見立違いでございました」

 「何と!」

 「皆様が御出陣後、判明致しました」

 「何たる藪医者!
ぬか喜びさせおって」

 「むしろ、この徳の勘違いなのです」

 長年信長に敵対を続けた日根野弘就(ひろなり)を、
家臣として迎える、迎えないで、
信長が鷺山殿と珍しく言い争いになった際、
信長は鷺山殿に、

 「血の道か?」

 と、よりにもよって仙千代達近習を前に失言し、
ますます鷺山殿を怒らせるという一幕があった。

 その時の仙千代は、
男女がどのように睦めば子が出来るのか、
あらましは知っていたものの、
血の道が何であるのか知らず、
後になって竹丸から教わって、
女体の神秘に何やら興奮を覚えた記憶があった。

 当然ながら信長は娘を揶揄することはなく、

 「まあ、
時に左様なことがあるとは聞く。
藪は藪でも小藪なら致し方ない。
大藪なれば、儂が薙ぎ払ってくれる」

 と、姫を慰めた。
 
 徳姫は、
桃の花のような愛くるしい口元に笑みを湛え、
信長を父譲りの真っ直ぐな眼差しで見た。

 「残念ではございましたが、
ふさいでばかりいてもと思い、
薙刀(なぎなた)の稽古を再開しております」

 「薙刀の?」

 「時には我が殿が面白がって、
稽古をつけてくれまする」

 「そうか……」

 鳩が豆鉄砲を食ったような顔の信長に対し、
姫は落ち着いたもので、

 「赤子はいずれ授かりますゆえ。
来年には間違いなく、
父上の初孫を抱いているような気がしてなりませぬ」

 「うむ……まあな」

 信長の父としての顏を、
信忠ら、男の子供に見ることはほぼ無く、
主従関係が色濃いが、
姫を目の前にすれば信長も一人の父親だった。

 「せいぜい、子を為せ。
子は家の柱。夫婦の宝。
薙刀で仲を深めるのも、
いかにも三郎殿と御徳らしいの」

 徳姫は朗らかな笑みを見せ、
仙千代は、
信長が三人の子を産ませた亡き御側室は、
もしや徳姫が面影を最も濃く継いでいるのかと、
思いを馳せた。

 姫が退出した後、
信長は湯冷ましを啜り直しつつ、

 「面立ちはあれの母親によう似ておるが、
於濃(おのう)が可愛がったせいか、
どうやら(しょう)はあの(つま)そっくりじゃ。
力を持て余し気味の婿殿には、
あれで丁度良かったのか。やれやれだ」

 と、独り言ち(ひとりごち)気味に呟き、
それはそれで満更でもなさそうに目を細めた。

 「上様」

 竹丸が珍しく悪戯っぽい表情をした。

 「うむ?」

 「この城は龍城と呼ばれておる由、
御存知でしたか」

 「ふむ、小耳に挟んだような」

 竹丸が茶目っ気で告げた。

 「伝説ではこの地に城が成った時、
天守に竜が現れて、
我を鎮守の神とせよ、
されば、この城を永く守護するであろうと
預言したのであるとか」

 「確かに天守には、
竜神が祀られていると聞く。
龍城。
うむ、あの婿殿に相応しい名である」

 「それが竜神様は乙女であったというのです」

 「何?竜は女人であったのか」

 「左様でございます」

 「御徳を(たつ)姫と名付けるべきであったかの」

 場に居合わせた皆で陽気に笑った。
 城には、
信長が討った今川義元に縁続きの築山殿こと、
信康の実母も住まっていた。
 しかし当たり前のこと、
信長はじめ、誰も、
頭には徳姫のみしか浮かばなかった。


 


 


 

 

 


 



 

 
 



ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み