第294話 女城主(1)於艶の方

文字数 780文字

 信長の眼光が鋭かった。

 「助命を許諾とは。何故か。
半年もの長きにわたり我が軍をあの山間に張り付かせ、
将兵に多大な苦闘、忍従を強いた秋山。
何故、総大将は許そうと」

 「城へ遣いで入った塚本小大膳は上様御存知のように、
若殿と武田の姫の縁組で、
使者として岐阜へ秋山虎繫がかつて訪れた際、
供応の役目を仰せつかり、
両人は既知の間柄でありますれば、
敵味方ながら此度、胸襟を開き、
語ったようでございます。
 塚本殿は秋山に覚悟を訊ね、
敗戦の将たる我が身が何事か望むことは許されぬ、
なれど女子供は裁きの外とし、
助命を願うと申したそうで、
すると岩村殿が、」

 元助一行を見下ろして縁に仁王立ちの信長が、
尚も一歩、前に進んだ。

 「何を申した」

 「道理を弁えた上様なれば、
勝敗を決した今、
女子供の助命は当然のこと、
我が殿が織田家の将として忠節を尽くす道を
御思案あそばされることも御考えの内ではないか、
不合理を好まれぬ上様なれば、
昨日の敵を今日は臣下とし、
その智勇を惜しみ、生かす実例に事欠かぬ、
例えば日根野弘就(ひろなり)殿のように。
 左様に岩村殿が仰って、
隣に座す秋山は如何にも難渋の面で
押し黙ったそうでございます」

 織田家重臣、金森長近と閨閥があり、与力の任にある日根野弘就は、
岩村殿こと於艶の方の最初の夫、
日比野清実(きよざね)と共に斎藤家の宿老であった為、
於艶の方には旧知の武将で、
それ故、信長の美濃征服により弘就が斎藤家を離れた後、
今川氏真、浅井長政、本願寺顕如と、
信長のあらゆる敵の将として
流転を重ねた末の今を知っているのだと想像された。

 嫁いで時を経ず、実の甥に夫を討たれ、
実家へ戻って家臣に嫁すも、
次には政情不安極まる岩村へ輿入れとなり、
子が居ないままにまたも夫を亡くし、
最後は敵将の室となった於艶の方の運命の数奇と、
ただ流されるを良しとせぬその気丈さに、
仙千代は畏敬を抱かずいられなかった。


 
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