第169話 蹴鞠の会(7)長秀の名誉①

文字数 714文字

 天正三年 文月三日、
晴れ渡った夏空の下、
誠仁(さねひと)親王主催の蹴鞠会が清涼殿で行われた。
 猫掻(ねこかい)が敷かれた鞠場は内裏の雅な眺めに野趣を添え、
味わい深い演出となっていた。

 蹴鞠は一回につき八名が出場し、
競技者は親王御自らを筆頭に、
飛鳥井流蹴鞠宗家として雅教(まさのり)雅敦(まさあつ)
他に三条西実枝(さねき)勧修寺晴右(かんしゅうじはれみぎ)
万里小路充房(までのこうじあつふさ)山科言継(やましなときつね)ら、総勢二十四名で、
誰もが教養として蹴鞠を会得している貴顕の人々だった。
 第一回は朝に始まり、
昼食をはさんで第四回目が終わる頃には、
陽が西に傾きかけていた。

 親王は最初と最終の回に実演者として参加され、
汗をかかれた為か、
最後は装束を御着替えになって、
楽しかった一日を喜ぶ御言葉を招待者に下さった。

 長秀、信定、仙千代らは、
御殿の庭の木陰から拝見させていただき、
出場者に負けぬ白熱で集中して観入った。
 正式に招かれていたのは、
信長はじめ殿上人のみであったが、 
庭園のあちらこちらでは
帝に仕える貴族達が仙千代らと同様、
熱心に見学していて、
この催しは特別晴れがましいものなのだと改めて知れた。

 蹴鞠に苦手意識を見せていた長秀も、
興が乗ったか、
いつしか前のめりになって、

 「流石の技は引き込まれるの」

 と、感嘆した。
 仙千代ら、若手の御伴は、
妙技や大技が出ると声を立てそうになり、
つい、それが出た時は、
慌てて手で口を塞いだりした。

 清涼殿 昼御座の御帳台(みちょうだい)の向こうは、
明るい庭からは微かにも内が見えなかった。
 しかし風も無いのにふと御簾が揺れた時、
ああ、帝が居られる、
帝も競技を御覧になり、
もしや立ち上がって鞠の行方を追っておられるのかと
仙千代は思った。

 美しい夏の日、
やがて信長が長秀を呼んだ真の理由が、
この後に分かった。

 


 
 

 


 
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