第318話 叔母と甥(1)怨嗟の叫び

文字数 1,029文字

 見れば、於艶の方は、
岐阜へやって来た時の着物であるのか、
土田御前が差し入れたという白絹の装束ではなかった。
 岩村の山に咲く岩鏡の花を思わせるような紅い糸を
織り込んだ錦の生地で、
身に着ける人物を選ぶ高貴な召物だった。
 ただ、よく見ると、
その布は道中を経て、
裾が(ほつ)れ、所々汚れがあった。

 これが上様の叔母君……
これが於艶の方様……
 いや、これは岩村殿……
岩村城の女城主、於艶の方様!……

 仙千代が対面した於艶は髪振り乱し、
怨嗟の叫びをあげて般若の形相となっていた。
 元の美容は隠しようがなく、
もしや孫が居てもおかしくはない齢ながら、
十分際立って美しいだけに、
憤怒の浮かぶ眼光は鋭い刃物を思わせた。
 本来、斎藤家の宿老、日比野清実(きよざね)の正室として、
勅願の名刹を擁す結城(ゆうき)の城で生涯を終えるはずが、
清実は信長の美濃侵攻の際、降りることを良しとせず、
討たれて戦死し、
その日より於艶の彷徨(さまよ)う旅路が始まった。
 
 「何を騒いでおる!
この期に及び、何たる往生際の悪さ」

 信長は歩みを進め、
於艶の前に立ちはだかった。

 「おのれ、信長!
忠義の武士(もののふ)、秋山虎繫をあのように!
 血も涙もない左様な振舞!
地獄の業火がお前を襲い、
骨の髄まで焼き尽くすであろう!」

 「出羽介(でわのすけ)には神妙であったというが、
末期となれば斯様な有り様。
 見苦しいにも程がある」

 於艶はここに至るまで、
出羽介こと信忠や岐阜城の女人達に対しては、
礼節を保ち、(えにし)の情を隠さなかった。
 それが今では鬼神となって、
信長に怨み、呪いを激しく吐いて、
か細いその身の何処からそのような声が出るのか、
大音声は河原に響き、立ち合いの家来衆のみならず、
物見で集まった野次馬の群れにも着いている。

 「あの世の父上、兄上に、
お前のことは(しか)と伝える!
 武士の誠を踏みにじる獣の如き男であると!」

 「敵将と通じたその口が醜い妄言!」
 
 「お前など何を言おうが響かぬわ!」

 於艶はぐっと前に出た。
 信長に挑まぬばかりの於艶の身体を
両側から支えていたのは仙千代、秀政だった。
 他の家来は於艶の剣幕に腰を引き、
死を宣告された罪人であろうとも主君の叔母だとなれば
容易に触れられず、ひたすら難渋していた。

 「殺るがいい!その太刀でやるがいい!
叔母殺しの汚名はお前に似合いじゃ!」

 刹那、信長の白刃が宙を舞い、
冬の夕陽に煌めいて、
於艶のこめかみより鼻筋を通り、
太刀筋は腕へと通って動きを止めた。
 袈裟斬りだった。
 信長は当然のこと、
仙千代も秀政もその血を浴びた。

 
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