第376話 抗弁

文字数 1,073文字

 白昼の陽に刀身が煌めき、振り下ろされた。
 彦七郎の剣は梅之丞の額、鼻先をかすり、
綿入れを裂いて右手の甲を流血させた。

 「何処を斬ってくれよう!
次は耳を削ぎ、喉を突いてやろうか!」

 剣先は梅之丞の眼前にあった。

 今一度この人非人(にんぴにん)は開き直った。
傷を受け、血を見て尚、抵抗する(しょう)は、
一座を率い諸国を流れた百戦錬磨の筋金と言えた。

 「こっちゃあ殿様のお褒めを頂き、
通行証を頂戴したんだ!
 お侍は殿様の言い付けに従うもんじゃないのかね、
それを斬りつけるとは」

 「殿は何も御存知ない!その所業をな!
いったい何人の小弁が毒牙に!」

 彦七郎と梅之丞のやり合いが続く。

 「命と共に通行証も消えて滅する。
悔い改めるがいい、地獄でな!」

 流血の顔面をやはり流血の甲で拭った梅之丞は
彦七郎を睨み、ニヤッと笑った。

 「本性でごじゃる。
侍の本性。
 斬って捨て、捨てては斬って、死体の山だ。
死体の山が大きい程に出世して。
 何処の馬の骨の子に銭を払って買い取って、
芸を仕込んで、飯を食わせた。
 ああ、確かに小弁達は死んだ。
じゃがな、そのまんまじゃ一年、半年もつかもたんか、
そんな奴等じゃ。
 それを儂は寝床、着物、食い物を与えた。
 何を責める。
 侍のやることは良いのかね。
領地を取った、取られたで人を殺す。
 しかも万という数だ。
 侍だけは良いのかね。
 侍は仰山殺せば英雄か」

 彦七郎は振り返り、
眼はこの悪人を斬る許しを求めていた。

 「刀が穢れる。やめておけ」

 と仙千代。

 彦七郎は怒りに身を震わせている。
 追い詰められ、存分放言した梅之丞は、
それでも仙千代の言葉にほっと肩を緩めた。

 「しかし!殿!」

 「(やま)しいことは何も無い」

 仙千代は不思議と熱さは込み上げず、冷えていた。

 認めぬとばかり梅之丞は卑屈に笑んだ。
 仙千代は静謐だった。

 「たった一つの命。
 誰しも死を覚悟して臨むが戦。
 たとえ大将であろうとも。
 故なく命を奪うこともない。
 持てるもの一切を賭して戦うのみ。
 故に恥じることは何も無い」

 事実信長は合戦時の兵による略奪を嫌い、
許さなかった。
 広く行われていた人身売買も禁じ、
これを知れば厳罰に処し、戒めとして極刑にした。
 戦利品として鎧甲冑、武器のみならず、
女、子供を誘拐し、
益を得る為の戦を仕掛ける他国の武将が居る中で、
信長は秩序を求め、それを嫌った。

 「如何なる生涯が待っていたやもしれぬ幼児(おさなご)を捕え、
飢えと痛みに苦しめ、食い物にし、
病に沈むを放って殺した。
 その口が何を」

 仙千代が終わるのを待ち、

 「やはり許せぬ!」

 と彦七郎は梅之丞に剣を上げた。



 

 
 


 



 

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