第52話 岐阜城 古狸(3)

文字数 1,082文字

 褥を共にするようになって四年目に入り、
三郎の大(いびき)が耳元で響いても、
いつしか熟睡できるようになっていた信忠だったが、
寝入りばなだけは先を越されたくないというのは、
未だにあった。

 「まだ眠るでないぞ。
儂より先に寝てはならん」

 と毎回同じ台詞を言い、
三郎も、

 「はい」

 と言うのだが、
たいていは、その「はい」の直ぐ後に、
鼾が始まった。

 今夜の三郎は褥の外に出て、
正しく座して信忠を見た。

 灯りの揺らめきが三郎の精悍な面立ちに、
影を作った。

 「若殿。お聞きいただきたき儀がございます」

 気怠い調子は消えて、毅然としていた。

 信忠も三郎に応じ、
褥に身を起こして座した。

 「我が一族の長老であるところの伯父が病に倒れ、
(はや)一年(ひととせ)
その伯父が療養の甲斐なく昨今著しく弱り、
冥途の迎えが近いとか、
度々口にしておりますようで、
御暇を一日頂戴できますのであれば、
見舞ってやりたく思うのです」

 戦で散るが本懐という家に育ったはずの三郎が、
ただ親族の見舞いの許可を、
申し出てくるとは思われなかった。

 「主旨は何だ」

 「はっ、幼名も今の通名も、
伯父の名付けにて、
伯父は私が若殿の御小姓となったことをたいそう喜び、
いつか私の烏帽子親(えぼしおや)にと望んでおったのでございます」

 つまり、長老の命の灯が消える前に帰省して、
伯父なる者の手で元服をしたいというのだった。

 正月を迎えるたび一つ齢を重ねる。

 「三郎は……確か十七」

 「はい」

 元服の年齢に決まりはなく、
戦況や家の都合で十才に満たずして済ませる者が居る一方、
主君の覚えが殊更目出度く、
なかなか髪を上げられぬ若衆も居て、
三郎に関して言えば、
大戦続きの織田家にあって、
戦慣れしていない信忠に侍っていた為、
それどころではなかったというのが実情だった。

 「いつもよくやってくれた。
三郎あっての勘九郎信忠だ」

 「とんでもないことでございます。
私こそ、若殿でなければ、
とうの昔に帰されておった分際でございます」

 「まあ、な……
そうではないとは儂も言わぬ」

 「はっ、恐れ入ります」

 食い意地ばかり張って、
しょちゅう腹を下しては務めに響かせ、
それでも懲りずに食欲先行で丸々と肥え、
小姓の中で最劣等とも言うべき三郎だった。

 信長の尾張支配が増大する中、
臣従した土豪の家の息子が三郎で、
そもそも人質のような形での出仕だったが、
三郎の明朗と正直を信忠は好み、
側近として引き立てて以後、
けして他の小姓の下に置かせず、
三郎もまた、
たゆまぬ努力で信忠に応えた。

 「早朝に出立し、日暮れには戻ります故、
一日の(いとま)、お許し願えましょうか」

 三郎は手をついて深く頭を下げた。

 
 



 

 



 

ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み