第247話 勝家への訓令(5)越前の四人①

文字数 967文字

 越前二郡の支配を許された三人衆は、
前田利家が名を連ねていた。
 利家は元服前から信長に仕え、
あろうことか信長の前で刃傷沙汰を起こし、
織田家を放逐されようともいつか帰参の叶う日を願い、
桶狭間合戦はじめ、
戦に参じては武功をあげて、
ようやく許されていた。
 戦国では、
主君を変える武将が珍しくない中、
利家が信長を敬い、崇める思いは絶対だった。
 佐々成政も十代半ばで信長に仕え、
精鋭の親衛である馬廻りの筆頭として活躍し、
一にも二にも武勇を重んじる(しょう)が爽快だとして、
信長は成政を重用し、
長島では敵軍だった大木兼能(かねよし)を臣下にすると
成政の与力として入れるなど、
その実力、人柄を高く評価し、
長島で嫡子を喪った成政も
仇であるはずの兼能を分け隔てせず用い、
信長の心を心として生きてきた武人だった。

 秀政は、

 「この微に入り細を穿つ発令書。
ああ、いかにも上様であらせられるなあと、
墨の乾きを待つうちに儂は笑えてきたのだ。
不謹慎ではあるが」

 と今は穏やかな表情を見せた。

 「柴田殿は上様には大恩人。
亡き大殿により、
上様の弟君に付けられていた柴田殿は、
当時の家臣団の総意に沿って動いたとも言え、
御二男の家老なのであるから、
主の命に従う他はなく、
上様を裏切って刃を向けたことには決してならぬ。
(しか)るに稲生(いのう)での敗戦に懲りず、
尚も兄の命を狙う主から離反し、
苦渋の決断をもって上様に暗殺計画を告げられた。
 柴田殿の英断あってこそ、
尾張統一は成ったといっても過言ではなく、
弟君の御家来衆をまとめ、
上様にそっくりそのままお渡しし、
自らは無からの出直しさえ、申し出られた。
左様な柴田殿であればこそ、
甥御様の養育を任されもした。
 上様が美濃衆の不破殿、
御小姓であった前田殿、
馬廻り筆頭であった佐々殿を配されたのは、
確かに見張りの役目もあるではあろう。
だがその見張りは、
柴田殿の失敗を招かぬ為だと儂は思う」

 厳密に言って、
失敗という言葉があたるかどうかは別として、
朝倉、浅井を一掃した北陸に於いて勝家は、
征圧した一揆軍に課税や米の供出を命じ、
それが殊更に過重なものではなかったにせよ、
反発の導火線に火を点け、
劫火としてしまった。

 「上様御自身、何故あの二年前、
細かに指図しなかったかと、
後悔がおありになるのやもしれぬ。
幾度も書面に目を遣る内に、
上様なりの御配慮なのだと思われてきた」

 
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