第12話 龍城(6)龍の化身⑥

文字数 1,158文字

 菅屋長頼は忠義の心に於いて疑うべくもない、
譜代の中の譜代と言える一族の出だった。
 曾祖父 岸蔵坊は人柄と働きを認められ、
何と織田姓を賜っていた。
 実兄の清長も、
信長の従兄弟で義兄弟でもある信成に仕え、
清長と長頼の妹は、
信成の乳母を務めた。

 清長は病の身であるにもかかわらず、
信成に従って、
長島一向一揆征圧戦に出陣すると、
主君の信成が戦死したのを見届けた後、
清長も一揆勢と戦って同じく果てた。
 
 また、ある時、清長は、
柴田勝家に高禄で誘われたのを断って、
あくまで信成に忠誠を尽くした。
諦めきれない勝家が清長を尚も誘うと、
ついには清長は怒り、
信成への忠節を説いて再びこれを固辞したので、
ようやく勝家は清長を諦めたという逸話さえ、
あった。

 織田家の岩盤ともいえる、
忠臣中の忠臣と言うべき長頼は、
徳姫の幸せを願う思い、
言い換えれば、
先を案じる懸念を漏らした。

 「浜松殿の御徳(ごとく)様への御気遣いは、
目を(みは)る。
御徳様は御徳様で、
父君譲りのあの御気性。
築山殿にしてみれば面白くないことばかり。
穿(うが)った見方をすれば、
昨日の勝利とて、
織田がいっそう力をつけるのか、
嫁の権勢が一段と強まるのかと、
気が気でないのやもしれぬ。
三河の安泰が何より重要だと分かっていても、
人の心は理屈通りにゆかん。
上様はあのような御人ゆえ、
女御(にょご)には女御の戦国があると巡らされることは、
ないであろう。
あったとしても、
時の無駄だとお考えになる。
同情したとて現実は動かぬからな。
だが、しかしだ」

 手元の竹筒を取り、
長頼は水をゴクッと飲んだ。

 その様を見つつ、仙千代は、

 「御城、
つまり三郎殿を護る竜神は一人だけ。
二神は並び立たぬ。
それでも、何事もなく、
御城が栄えていけば良いと願う。
斯様なことですか」

 と仙千代こそ願いをこめ、言った。

 「そうだ。
願わずにはおられぬ……」

 信康にまつわる二人の姫、
徳姫と瀬名姫の相克は深かった。
 だが、あれだけ甘い顔をしてみせる父、
信長に対して徳姫は、
愚痴も弱音も口の端に浮かべなかった。

 「御徳様に、
健やかな稚児(やや)が授かりますよう、
切望するのみでございます」

 「うむ。それこそが、
この御城での御徳様の礎となる。
若君の御誕生が心から待たれるところだ」

 作業はまだ残っていた。

 「さ、やるか。
明日は上様と、
浜松殿との評議が予定されている。
今の話は単に杞憂だ。
つまらぬことで間尺を取った。
すまぬ」

 長頼は机に向き直した。
合間を見つつ()っておいた墨の(すずり)を、
仙千代は長頼の右に置き、
乾いた硯と取り換えた。

 城の脇を流れる川のせせらぎを消すように、
広間から諸将の賑やかな声が聴こえてきた。
 
 ふと豊田藤助の日に焼けた笑顔を思い出し、
吉川郷の大鰻(おおうなぎ)は、
明日には届けられるかと楽しみにして、
仙千代は龍神伝説の暗い影を追い払った。

 
 

 




 

 

 

 






 



 

 

 

 

 
 

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