第349話 秀吉の土産(1)事情通

文字数 1,317文字

 師走に入って早々、
羽柴秀吉が年の瀬の挨拶に来た。
 
 岩村城征圧戦勝利、
信長の権大納言 兼 右近衛大将(ごんのだいなごん   うこんえのたいしょう)
信忠の秋田城介(じょうのすけ)就任、
これらを寿いだ秀吉は祝いを受ける信長、
信忠以上の機嫌の良さで人懐っこい笑顔の絶えることがなく、
饒舌も止まらなかった。

 権大納言は足利義昭と同等、
右近衛大将は源頼朝がなっていることから、
信長は武家の棟梁の地位に就いたこととなり、
織田政権二代目となる信忠の秋田城介も、
やがて信長同様、
天下を統治してゆく立場が示されたということで、
信長に仕える秀吉にとっても極めて喜ばしいことではあった。

 信長には仙千代と共に菅谷長頼、
堀秀政、長谷川秀一、
信忠には佐々清蔵、
尾関賀義(よりよし)、加納勝丸が控えていた。

 「此度、官位昇進にあたっての
三条西実枝(さんじょうにしさねき)殿の御働きは目ざましく、
先だって村井殿の御見舞いで京の御邸(おやしき)へ参上した折、
村井殿は三条西殿の訪問も受けられた由、
その際、三条西殿は、
上様の顕職(けんしょく)が無事達成され、
深く安堵したと同時、これに勝る喜びはないと、
しみじみ仰っておられたそうで、
上様の御側室たる あここの方様も
父君である三条西卿の御活躍、
さぞ、嬉しくお思いでございましょう」

 この一節を取ってしても秀吉の情報通ぶりは明らかだった。
 京で織田家の政務を()り仕切る村井貞勝は疲労快癒の為、
信長の許可を得て摂津国有馬郡湯山に湯治をし、
そろそろ京へ戻るという予定であったのを、
秀吉が貞勝本人の報告を待たず信長に伝え、
信長の側室あここの方が
信長父子の昇進に大きく役割を果たした
三条西実枝の息女であることに因み、
あここの方の心証をも秀吉は深慮した上での物言いだった。
 
 というのも実枝は、
長女が稲葉一鉄こと良通(よしみち)の正室で、
良通の嫡男にして稲葉家現当主には鷺山殿の異母妹(いもうと)が嫁しており、
あここ姫はその由縁から信長の側室となり、
三条西家は帝と信長の間を取り持って、
朝廷は信長の支えをもってして権威と財政の立て直しが成り、
信長は信長で朝廷の庇護者であるという錦の御旗の下、
天下平定事業を推し進めたのだった。
 
 実枝は時に帝にさえ物申すという気骨の政治家であり、
『源氏物語』をはじめとする
古典研究の第一人者であるばかりか、
有職故実(ゆうそくこじつ)の造詣は第一級の文化人でもあり、
覇道を目指す信長に、
京の奥の奥を教える貴重な人物でもあった。

 「左様か。村井は健勝か。
節々が痛み、眼がかすむとやらで、
湯治を勧めたのだ。
 何も慌てて戻らぬでも正月も有馬で過ごせば良かろうに、
政務山積の折、気が急いたのか」

 「御意。訪問時、まさに机に向かい、
筆をお持ちでございました」

 「清蔵も何ぞ聞き知っておるか」

 信忠の馬廻り、清蔵の伯父は佐々成政で、
村井貞勝の娘を正室としており、
二人の間の娘、つまり従妹(いとこ)を清蔵は(つま)に迎えていた。

 「我が室にとり外祖父にあたる村井殿ですが、
何と羽柴殿の方が容体にお詳しいとは。
 村井殿の御快方、帰って早速、
室に知らせてやりましょう」

 信長は、

 「事情通よな、藤吉郎は。
畿内の噂、
耳を通さぬものは無さそうじゃ」

 すると秀吉が、

 「憚りながら藤吉郎、
畿内のみならず、此度は西国の噂、
しかも取って置きの噂を耳にしてございます」

 と声を潜めつつ身を乗り出した。

 




 
 

 
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