第265話 柴田(1)宝

文字数 1,404文字

 信長は勝家の純、勝照の直情に爽快を覚え、
めっぽう機嫌を良くしていた。
 当の勝家、勝照は、
市の輿入れが遠のいた現実に打ち沈んでいる。
 秀政は秀政で、
何も懸念はないのだという風で通し、
穏やかな気を纏う真似をしていた。

 「おお!仙千代!」

 戻った仙千代に信長は笑み、
愉しさを惜しまず表した。
 越前が平らかとなる端緒は付けた。
次は加賀、そして能登。
 勝家が信長の戒めを守り、
確と国を治めて人心を安定させ、
前田利家らと勝利を重ねてゆけば、
北陸は畿内と一体化し、繋がって、
天下静謐はいよいよ目前に迫る。

 「お待たせ致しました」
 
 主役は持参の宝物であるとばかりに、
仙千代が控え目に発した。
 仙千代は誰もが認める最側近であり、
信長への取次は長頼、秀政、
仙千代、竹丸が取り仕切り、
必ず誰かが侍ることとなっていて、
四人は信長の心を心として仕える者達だった。
 中でも仙千代は昨今、
信長と最も行動を一にしており、
信長の信望、いや、有体に言って寵愛は、
歳月を重ねるにつれ深まり、
絶対のものとなっていた。

 心根の朴直、努力を惜しまぬ(たち)
慎ましやかな聡さ、温かな可笑しみ、
どれも信長を癒やし、心地良さを与え、
かつ、
仙千代の見目、佇まいはあくまで清らかで、
若さの絶頂にある艶めきに、
妖しさ、媚は微塵も有り得ず、
美しさは瑞々しく、清々としていた。
 仙千代という自慢の宝に目を細めた信長は、
現れた愛小姓の手元に気付くと、
胸中で悲鳴にも似た声を上げ、叫んだ。

 確かに言いはした、
何ぞ持ってまいれ、
柴田の笑顔が見られるようなものをと!
 が、それは何だ!
何なのだ!……

 各地へ出向く折、たとえ戦であっても、
茶道具は必ず携えていた。
 茶の湯は密談、交渉の場に有用であり、
また陣での慰みに欠かせなかった。

 信長が仙千代に耳打ちしたのは、
市を再嫁させるには未だ時を要することから、
勝家に何某か慰めとなる宝を与えようという発心だった。
 それが縁組の御印ともなる。

 もしや箱!
 箱ではないか!
 箱の中は何なのだ!……
 
 箱といえば茶器だった。
 信長が茶道を重んじ、
重臣達にはとりわけ強く奨めたことから、
戦といえば先兵を務め、最後まで合戦場に張り付いて、
終戦後の処理まで果たす勝家も多忙の合間を縫って茶の湯を嗜み、
造詣を深めるべく、
知識の獲得に時を割いているとは耳にしていた。

 今さっき、
信長の頭には刀剣があった。
市の状態や家内の均衡を鑑みれば今の今、
勝家と市の「婚約」を表にして然るべき時期ではなく、
勝家に信長からの祝いとして贈るのは、
越前平定を口実とした賜りであり、
であるならば、刀、剣が妥当であると思われた。
 実際、合戦後は、
褒賞として刀剣を授けることは間々あって、
遠征先でも名のある逸品の用意があった。

 仙千代が手にしていたのは、
紫紺の絹地で包まれた小ぶりな四角い箱であり、
携えている本人が眉目涼し気にしているだけに、
信長は脂汗が浮いた。

 もしや、もしや、仙千代!
その、その、その紫紺の包みは!……

 しかし意地は驚嘆を露わにすることを遮った。
ここで驚愕していては仙千代に負けたことになる。
 何故かそんな気がして信長は、
膝を組み直し、鷹揚な笑みを仙千代に向けた。

 「御苦労。開陳せよ」

 「はっ!」

 当たり前に畏まり、
仙千代の両の手が包みを広げた。

 ああっ!やあーっ!……

 信長は声にならない絶叫をし、
頭、額、首、脇にまで汗をどっぷり噴き出した。


 


 





 

 
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