第369話 触れ太鼓

文字数 1,308文字

 万見家で一泊した仙千代は代を継いでの家人(けにん)
兵太、兵次の兄弟と久しぶりの再会だった。
 二人は仙千代も知る村の幼馴染を妻にして、
屋敷の一画に簡素な家を建てて住み、
兵太に至っては既に二児の父だった。

 「男ばかりで妻は次は娘が欲しいと」

 「思うようにゆかぬのが子宝、
授かりものと言われる所以(ゆえん)
天の采配じゃ。どの子も可愛い。
 であろう?」

 「それはもう。
這えば立て、立てば歩めの親心と言いますが、
ただもうそこに居るだけで可愛ゆうて可愛ゆうて」

 「兄者は義姉(あね)から子に甘過ぎる、
時には叱り役もやりなされと」

 薪を割る兵太、兵次と語らっていると、
そこへ兵太の細君が栗の渋皮煮を持ってきた。

 「仙様がお好きだと聞き、
三日煮詰めて、これを」

 すると兵太が、

 「儂が煮たのじゃ。煮たのは儂だ。
こら、自分の手柄にしよって」

 「私も隣で、美味しくなあれ、
甘くなあれと呪文を唱えたではありませんか」

 仙千代が苦笑いしつつも口へ入れ、

 「確かに呪文が効いておる。
甘い甘い。
 斯様に甘い渋皮煮は初めてじゃ。
やはり呪文の手柄じゃな」

 と皆でどっと笑った。

 やがて、声を聞きつけたのか、
何かというと仙千代の姿を探し、
ついて回る妹の美稲(みね)が現れた。
 美稲は次の正月で十一になる。

 「兄上。探しました。
あっ、渋皮煮?」

 「美稲様もどうぞ!」

 兵太が鉢を差し出すと細君が、

 「美稲様も好物でしたね!
いっそ鍋ごと持ってきましょう」

 と受け、家の方へ小走りで去った。

 「時に兄上。
先ほど触れ太鼓が聴こえ、
旅の一座が見世物をするというのです。
 岐阜の殿様も御覧になって、
お褒めの言葉を頂いたとか。
 観てみとうございます。
 曲芸、謡曲、芝居もあって心躍ってなりませぬ」

 美稲が行きたがるのは尤もだった。
 兵太、兵次も手早く作業を済ませ、
是非にも見物しようという構えになっている。
 節句や寺社の祭禮以外、
これといった楽しみもない海辺の村で、
多彩な芸を見せる旅の一座は年に一回ある無しの
とっておきの催しだった。

 「兄上、お連れくださいませ。
兄上の御供なれば父上も許してくださいましょう」

 嫁入り前の武家の娘が野興行を見物など、
実際、行儀の良いことではないとも言えた。
 しかし仙千代は、
心に迫る暗雲を無視することが難しく、

 「何という名の連中か」

 と美稲に尋ねた。

 「笛太鼓に混じり、
山口座とやら喧伝しておりました」

 三郎の言葉が思い出された。
 
 早く、遠くへ去ってほしい、
殿の目の届かぬところへ……

 滅多にない帰省の日、

 「年頃の娘が左様なところへ行くでない」

 と本来、言うべきだったのかもしれない。
 
 仙千代は、

 「朝の演目を観て昼には帰る。
父上にお許し願い、出掛けてみよう」

 と美稲の肩を抱いた。
 
 何故こんなことに……
 小弁……
 確かに哀れじゃ……
 が、何処にもある話……
 何故このようなことに……

 仙千代に礼を言い、
兵太や兵次と声を弾ませている美稲の純朴が、
今は(うつつ)に思われなかった。
 身体の芯がなく、ただふらっと立っている。
 小弁が何をするでなくとも、
その存在は放っておかれぬものだと感じられ、
仙千代は焦燥と虚無という真反対の感情に苛まれた。

 

 


 

 

 

 
 

 

 
 


ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み