第353話 秀吉との酒宴(2)源吾の縁談①

文字数 1,369文字

 「誰ぞ心当たりはあるのか、仙千代」

 信長が仙千代に質すのも当然で、
主である仙千代が家臣の縁談を纏めることは
為せばならない義務だった。

 「上様」

 と入ったのは菅谷長頼だった。

 「万仙は夜討ち朝駆けの多忙続きで、
まさに席があたたまる暇さえない日々。
 それもこれも上様の御信頼の証として当人には
ただ感謝の一念でございましょうが一方、
未だ万仙は元服前の身、
家来の嫁御まで頭が回らなかったというのが実状。
 心当たりがありますれば手を打っていたと思われ、
今日を境におそらく近々ということなのでございましょう」

 長頼の言葉は有り難かった。
 逐一全部その通りで仙千代は独楽鼠(こまねずみ)のように働き通しで、
源吾の今後が頭の隅にありつつも具体的には現段階、
まったく無為の有様だった。

 源吾の嫁取りから外れ、
信長は元服という箇所に反応した。

 「聞けば徳川の重臣、榊原康政は二十歳になる頃、
ようよう元服したという。
 家康が榊原の明晰を(たの)み、離さなかった故、
その齢になったのだという。
 (さかのぼ)れば我が臣下においても丹羽長秀は遅かった。
尾張統一さえならぬ中、周囲の強国に圧迫されて、
五郎左を手離すわけにはゆかなかったのだ。
 仙千代の元服は無論、考えておる。
が、今ではないとそれだけだ」

 明らかに論点が反れてしまっているが、
全員が黙す他なく饒舌な秀吉さえ口を閉じている。
 しかも上が(つか)えていては後が進めぬと言の葉に乗せたのは
当の信長であるはずなのに仙千代の元服には
良い顔をしない。
 とはいえ話を戻したのも信長で、
本人は平然としたものだった。

 「源吾はああ見え、能筆な上、
(もろこし)の故事なども良う知っておるというではないか。
もっさりとして牛のような男なれど、
文武に長けたなかなかの者。
 どうじゃ、ここは筑前、
推挙に(あた)う娘御は居るか」

 この一同に於いて秀吉が最も上席なのであるから、
信長がまずそこへ尋ねるのは礼に則ったことではあった。

 問われることを予知していたのであろう秀吉は、

 「有り難き御言葉。
なれど上様御存知であられますように、
我が一族は中村の百姓の出。
恥ずかしながら未だ読み書きできぬ者も居る始末。
 上様御側近の御家来に縁談を御世話するなど、
いやいや、荷が重過ぎまする」

 実際、秀吉の出自が
定宿を持たぬ流れ者のようなものであったことは
信長どころか誰もが知っている。
 それを敢えて「百姓」と言う秀吉だった。
そして「百姓」でさえ近藤家の嫁とするには、
格が釣り合わなかった。

 「おお、そういえば。
 上様の御傍仕えにして、
万仙殿と親しき仲の堀久太郎殿なれば良き女子(おなご)
親類衆に居ぬとも限らず。
 久殿、如何かな」

 ここで譜代の家柄である
菅谷長頼でも長谷川秀一でもなく、
新世代の家臣にあたる堀秀政の名を挙げるのが
やはり織田家では新参者の秀吉の秀吉たる由縁だと
仙千代は受け止めた。
 秀政はかつて秀吉の配下にあった。
 秀吉の前には信長の古参の側近、大津長昌に仕えており、
長昌は丹羽長秀の妹を正室として、
二人は義兄弟だった。
 秀政が仙千代の家臣の嫁を世話するとなれば、
秀吉は秀政を通じ、仙千代と(よしみ)を深められ、
信長への(ちか)さがいっそう増すというものだった。
 しかも秀政を使うのであれば、
長頼、秀一といった織田家譜代の名族に気遣う必要もない。
 この場合の秀政は秀吉にとり、
妙なる名案だった。



 


 


 

 
 


 



 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み