第170話 蹴鞠の会(8)長秀の名誉②

文字数 979文字

 信長の猶子となっている誠仁(さねひと)親王は、
織田家の嫡流、信忠より五歳年長の二十三歳で、
二人の女房との間に、
一人の王女と四人の王子に恵まれていた。

 かつて、資金難を故として、
元服が延び延びになっていた親王は、
信長の後見で儀式が実現した経緯があった。
 親王は明晰にして清廉な人物で、
政略上の形式的父子関係ながら、
信長は親王に親しみを見せてよく支え、
親王も庇護者である信長に対し何事につけ厚く配慮した。

 競技が終わり、
皆々、親王から御言葉を賜り、
名残惜しくも華やかな余韻を残して散会すると、
招待者達が御所を後にする中、
信長は帝が御座(おわ)す黒戸の御殿に御声が掛かった。
 内侍所(ないしどころ)の女官を通じ、
置き縁で帝から盃を頂戴した信長は、
日頃、僅かの酒もほぼ口にしない為、
心なしか酔いを浮かべ、
待ち受けた長秀や仙千代のもとに姿を見せた。

 興味があれば追求しないではいられない質の信長が、
蹴鞠は幼い頃から見知っていたのに手を出さず、
専ら趣味嗜好といえば鷹狩りと相撲だった。
 鷹狩りは元来、公家の遊びとして親しまれたものが、
戦闘訓練、領地視察、体力維持の観点から、
武家の重要な嗜みとなり、
相撲は相撲で、
国防の為の兵士選抜や警護員の抜擢を兼ねて
かつては大切な宮中行事であったのがいつしか廃れ、
その後、近接戦を前提にした武家の鍛錬、
陣中での余興として存続し、
信長も鷹狩りに負けず相撲に強い関心を示して時に上覧会を催し、
技の巧みな者や強力(ごうりき)に褒美を与え、
家来として召し上げた。
 
 蹴鞠は信長にとり貴族の文化であって、
鷹狩りや相撲は実用的価値があった。
 信長は蹴鞠宗家の飛鳥井家に援助を与えるなど、
けして貴族文化を軽んじるものではないが、
一方、現実主義者であって、
蹴鞠はあくまで儀礼としての受け止めで、
自身の日頃の関心はそこに無かった。

 とはいえ長秀はじめ、
誰もが蹴鞠の妙技を堪能したと口々に言い、
見学が許されるよう取り計らってくれた礼を述べると、

 「殿下の蹴鞠会というと、
仙が小鼻を膨らませるのを可笑しく見ておったが、
筆達者な誰ぞの鼻の(あな)も負けずに大きゅうなって、
笑えて堪らんかった。
又助、今日は堪能したか」

 と機嫌の良い顔を向けた。

 儂の鼻の孔が広がってと太田殿は茶化されたが、
上様は太田殿も面白く御覧になっておったのじゃ……

 仙千代が大袈裟にジロッと見ると、
又助こと信定は照れ笑いで返した。

 
 


 

 
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