第197話 常楽寺(8)涙③

文字数 698文字

 静粛にしていなければならぬはずの小姓が
堪え切れず涙したところを見ても、
安土の城の噂を聞き付けた昨今の秀吉が、
築城の奉行職に就くことを
如何に強く願っていたかが知れた。
 
 「佐吉が申します通り、
粛然と控えておらねばならぬものを
見苦しき様をお見せ致し、」

 秀吉がそこまで言うと、
信長は、

 「藤吉郎。良い家来を持った。
主の涙を我が涙とし、忠義の発露がさせたこと。
それが分からぬ儂ではない。
名は市松であったか?
幼き故、失敗もある。
夜叉若共々、兄小姓達を見習い、学べば良い」

 「はっ!……」

 信長は続けた。

 「佐吉」

 「ははっ!」

 「若輩者を強責し、
二人の振舞が咎めを受けぬよう、
助けてみせた。
それもまた、儂は分かるぞ」

 佐吉は言葉をしみじみと受けた。

 「はは……」

 信長の目が干し柿の入った篭に向いた。

 仙千代が差し出すと信長は、
最も大きなものを取り、

 「佐吉、これからも筑前を支え、
市松、夜叉若の手本となるのだ。
佐吉だけに一つ余分、これは褒美じゃ。
さあ、食べよ」

 と干し柿を仙千代に渡した。

 仙千代が、

 「お褒めの御言葉、
宜しゅうございましたな」

 と微笑んで佐吉に柿を、

 「さあ、召し上がれ。
特別な思し召しでありますぞ」

 と言いつつ、

 まこと、美味い柿じゃった……
何なら儂がもう一個食べたい程じゃ……

 などと思いながらも
佐吉の表情に微かな困惑が浮かんだことを、

 よもやの褒美と褒め言葉、
動転が収まらぬのか……

 と見た。

 後年、佐吉がこの日を思い出し、
佐吉にとっては腹下しの素である柿を二個も平らげ、

 「数日間、ずいぶん苦しんだ」

 と聞かされ、
場に居合わせた市松、夜叉若らと四人、
思わず大笑いをした。

 

 

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