第176話 蹴鞠の会(14)長秀の名誉⑧

文字数 585文字

 入室を促された仙千代が茶を出すと、
急かした当の信長は軽く舐めただけで、
むしろ長秀、信定が喉を潤した。

 信長の目が信定の矢立に行ったので、
仙千代は、

 「御筆拝借」

 と断って、
信定の筆と帳面を信長に渡した。

 信長は自ら、滝川一益、伊予守(いよのかみ)と書いた。

 「なるほど、長島、伊勢を任せた滝川は、
重鎮中の重鎮だ。
伊勢国は神宮を抱え、
独立の風が強い特異な土地柄。
伊勢の北畠家へ養子入れした三介、
同じく神戸(かんべ)家へ入れた三七の支えとなって、
今後も滝川には大いに働いてもらわねばならぬ。
うむ、左様であった」

 たった今の今、
思い付いたような口ぶりながら、
いずれ手中にしようという四国を意識し、
伊予守とすらすら記すのだから、
一益も当初から頭にあったに違いなかった。

 三介とは信雄(のぶかつ)、三七は信孝で、
信長の二男と三男は伊勢の二つの古い名家に、
それぞれ養嗣子として送り込まれ、
伊勢攻略の一端を担わされていた。

 長秀は控え目ながら、
意志の強いたたずまいで座していた。

 「申せ。何なりと。
言い足りぬことがあるのか」

 口調に慈しみがあった。
 既に四十を超えた信長、長秀が、
仙千代には、ふと、
十代半ばの若い主従に映った。

 「恥をしのび、言上(ごんじょう)仕ります」

 長秀は居住まいを一段と正した。
 
 信長の重要な戦いすべてに加わって、
内務、外務に通じた長秀ほどの人物に、
如何なる恥があるのかと仙千代はまたも驚いていた。

 

 
 

 
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