第27話 龍城(21)岡崎の朝③

文字数 1,467文字

 やがて昼餉が済むという頃合いで、
酒井忠次が信長一行を見送る為にやって来て、
二男を伴っているというので、
信長は目通りを許した。

 忠次の息子を、
岐阜で預かるのはどうかと進言したのは仙千代だった。

 武田勝頼敗走により、
三河、遠江を手にした徳川家が、
強大になり過ぎぬよう牽制する意味合いからの示唆だった。

 戦後処理に忙しかった信長は、
思わぬ忠告を受け、良案であるとして受け容れた。

 忠次は、信長より幾らか年長で、
酒井姓ではあるものの、(つま)は家康の叔母であり、
事実上、松平一門を束ねる長老だった。
 父を喪い、母と生き別れ、
孤独の身であった家康に従って各地で暮らした忠次は、
忠勇無比の声高く、
教養に優れる人物だと評されていた。

 これもまた仙千代の提案ながら、
近々、忠次は、
鵜飼い見物で岐阜へ招かれるのだから、
その際、二男と来ても間に合うものを、
このように今日この日、
連れていって構わぬとでもいうように
同伴してくるというのは、
忠次の信長への意気を表すものだと伝わった。

 「酒井九十郎と申します。
拝謁を賜り、きょ、……恐悦……
恐悦至極にございます」

 六歳の幼子の懸命な口上に、
信長はじめ、一同が目を細めた。

 鳶ケ巣山(とびがすやま)砦襲撃を献策した忠次を、
信長は高く評価していた。

 「酒井よ」

 信長は忠次に告げた。

 「はっ!」
 
 「酒井には、
織田と徳川の橋梁が一段と堅固となるよう、
余は働きに大いに期待しておる。
また、その九十郎は、
浜松殿の従弟(いとこ)にもあたる(おのこ)
岐阜で暮らすからには、
織田家の男児同様の文武を授けると約束しよう。
ちょうど、似た年端の若君が居る故な、
共に武術、文事に励み、研鑽を積むが宜しかろう」

 「有り難く、感謝の言葉もありませぬ」

 平伏する忠次に小さな二男も従った。

 「近々の岐阜滞在のみならず、
今後、遠江、三河からの取次は、
この万見仙千代が仕切る故、
以後、(はか)り事はこれを通せ」

 酒井父子の鵜飼い見物にかこつけた、
徳川家のいっそうの臣従を促す工作は
仙千代の発案だった為、
饗応を任せると既に仙千代に申し渡してあった。
 信長は、
今後は仙千代が徳川家からの使者の窓口となることを、
加えて明言したのだった。

 仙千代は改めて背筋を伸ばし、
きりっと口を結んだ。

 「年若い万見は、
九十郎の世話を良くするであろう。
内輪では口より先に手が出ると聞き及ぶが、
何やら外では温柔敦厚(おんじゅうとんこう)にして、
光風霽月(こうふうせいげつ)と言われておるらしい。
万一にも手足が伸びるようであれば、
直々に申せ。
万見の手も足も、へし折ってくれる」

 「万見殿の手が出る時には、
余程の火急の事態にて、
それこそ万々の一にも讒言(ざんげん)するなど、
ありませぬ」

 仙千代がここで、
こほんとわざとらしい咳ばらいをした。

 「何じゃ、仙千代。風邪でもひいたか」

 「恐れながら、
九十郎殿が震えておられます。
皆様でまるで私を鬼のように」

 「おや、違うと申すか。
昨晩も出羽介(でわのすけ)の近侍を張り飛ばした上、
蹴ったと聞いたぞ」

 「あっ……」

 仙千代が頬を赤らめた。
 それ自体、事実に間違いなく、
事情を知っている忠次はじめ、
誰もが紅潮の仙千代を微笑ましく見たが、
当人は恥じ入って薄っすら汗をかき、
わけの分からぬ九十郎は、
少しばかり顔を白くしていた。

 「大丈夫、大丈夫。大人の冗談じゃ。
九十郎、
近く、美濃の岐阜という大きな町へ行き、
この世の極楽と言われる素晴らしい御城で、
鵜飼い漁を見せていただくのだ。
感謝の上にも感謝をし、楽しみにせよ」

 忠次が九十郎の背をそっと抱いた。
 晩婚だった忠次にとり、
可愛くてたまらない二男であることは、
温かく優しい眼差しで誰にも知れた。

 


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