第330話 鷺山の姫(1)母二人

文字数 1,087文字

 鷺山(さぎやま)殿を前に信長が直入に告げた。

 「いつまでもその敬称でもあるまい。
鷺山は眼前のあの山ぞ。
 道三公が隠居所と定め、共に暮らした山。
手離せぬ懐かしき思い出。
分からぬ儂ではない。
 が、実際その身はとうに岐阜殿であったのだ。
儂は安土へ引き移る。
 安土殿となるは於濃、他に居るまい」

 岐阜入城の折、幼かった信忠も、
いつしか養母(はは)の苦難の生涯を知ることとなった。
 最初の夫は病死、
二度目は実父による謀殺、
三度目が信長で、共に十五歳だった。
 織田家嫡男と斎藤家の姫、
若い夫婦の間に子は育たなかった。
 生を享けた子も居たが、
二人が実の子の成長を見ることは、
願いも空しく(つい)ぞ叶わなかった。
 信忠の庶兄であり、
幼少にして村井貞勝へ養子へ出された信正が、
信忠と三歳違いであること、
信忠が鷺山殿の輿入れから八年後に生誕したことを思えば、
信長は正室の子を嫡流に望み、
長らく他に(つま)を持たずにいたことが推し量られた。
 
 祖母たる土田御前の周囲から漏れ聞く話では、
信忠の生母、生駒家宗(いこまいえむね)の姫は夫が戦死し、
生家へ帰っているのを遠縁である御前の計らいで
信長の側室として迎えられ、
生駒氏が藤原良房を祖とする古い家柄で、
武家商人であったことから非常に裕福であり
地域の郷士を束ねていたこと、
姫本人が美しく、良い気性の人であったこと、
これらが幸いし、
奇妙丸、茶筅丸(ちゃせんまる)御徳(ごとく)という三人の子が、
立て続けに生を見た。
 
 ある意味、当然ながら、
生駒氏側はこれをもってして
信忠らの母を信長の継室にという声が無いではなかった。
 となれば鷺山殿は正室の座を退()り、
実家へ身を寄せるか、
尼にでもなるかという話になる。
 
 それは信長が、良しとしなかった。
 信長は面子に拘らぬ(たち)で合理を好んだが、
同時、格式というある種の不合理を理解していて、
その背景にある歴史、(いわ)れを決して軽く扱わなかった。
 つまり、斎藤家には、
稲葉家を始めとする有力な縁戚、
旧家臣団が控えていて、
例えば稲葉家ひとつとっても公卿にまで血脈を繋げており、
尾張生駒氏は当時その点で、
美濃斎藤家の家勢に敵うものではなかった。
 
 何よりも、信長がけして短くはない間、
正室の子を望み、
他に子をもうけることをしなかったのだから、
後継に恵まれなかったとはいえ、
夫婦には情愛が確かにあって、
鷺山殿の地位は信長により保障されていたと言って良かった。
 生母の記憶は鮮やかで、
信忠のかけがえのない思い出だった。
 しかしそれは思い出で、
現実の母は鷺山殿であり、
受けた慈愛と恩顧は決して忘れてはならず、
共に暮らした日々を思うと、
既に実の母子と言って過言ではない親しみが、
養母と息子の間にはあった。

 

 
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