第424話 長良の堤(1)栄光の旅

文字数 1,162文字

 四十一となった初春、
住み慣れた岐阜を信長は茶道具のみ携え安土へ発った。
 幼少時から気前の良さは折紙付きで、
叔父が建立の尾張中村の凌雲寺に手習いの為預けられていた時も
母、土田御前が送った金子(きんす)を信長こと吉法師は
模擬戦で勝った方の子供達に褒美ですっかり与え、
書道具や書物に使うとばかり思っていた母親を驚かせたものだった。
 鎌倉時代の仇討ちで名を残す曽我兄弟の弟である時致(ときむね)所有の刀であった伝説の名刀、星切の太刀はじめ夥しい名宝一切、
昨年末十八だった信忠に渡し、家督も譲って信長は隠居となった。
 が、当然のこと天下布武の完成を見るまで最高権力者は自身であって、
信忠は織田家当主、信長は天下人という位置付けだった。
 とはいえ岩村城攻めの功績により武家にとり名誉極まる秋田城介(じょうのすけ)の位を授かった信忠は信長自ら手元へ置いて他の弟達とは別格の待遇、教育を施しただけはあり、
一時は貴公子然として育ってしまったと危惧したものの杞憂に終わり、
今や風格さえ備えつつある堂々たる「岐阜の殿」ぶりだった。
 信忠には一門衆、尾張衆、美濃衆と、
織田軍主力精鋭を惜しみなく付けてあり、
亡き道三の末子、斎藤利治も傳役(もり)として後見させている。
 織田家の先は光に満ち、
陽も月も星も煌々と照らしているかに思われた。

 馬上の信長に菅谷長頼、万見仙千代が小姓を率いて侍り、
正室、濃の推挙を受けて安土へ向かう側室の鍋はじめ女達は堀秀政、
長谷川秀一が警護している。

 振り返ると稲葉山は春霞の向こうにあった。

 「御城から殿や御前様、奥方様はじめ、
皆々様いつまでも見送っておられましょう」

 と語り掛けた長頼は晴れ晴れと白い歯を見せた。

 「それにしましても上様の身軽ぶり。
まるでついそこらへ遊山にでもお出ましになられるような」

 「一切合切置いてきたことを申しておるのか」

 「無論、今や岐阜の殿が織田家の領袖。
それは存じておりますが」

 今の信忠に子は居ない。
しかし信長の眼の黒い内に家督譲渡を済ませておけば
信長の次は信忠、信忠の次は信忠の子と、
織田家は常に嫡流が継ぐと世に知らしめることとなり、
無用な家督争いを防ぐ一助となる。
 例えば武田信玄も斎藤道三も傑人だったが、
死後に起きた跡目争いは血で血を洗う悲惨なもので、
それは信長自身も経験していた。

 「栄えある城介は願い出て得られるものではない。
朝廷がふさわしいとして勘九郎が賜った名。
 秋田城介ともあろうものは相応の振舞が要求され、
威信は財力によって裏打ちされる。
 なあに儂は隠居の身。
起きて半畳、寝て一畳。安土の草の枕もまた味じゃ」

 冗談交じりに結んだが実際は各地の鉱山、
堺を始めとする交易港を信長は押さえていて、
有事の戦費も新たな城下建設費用も潤沢だった。

 信長と長頼の話も(そぞ)ろに仙千代は度々後ろを振り向いた。

 



 

 

 
 

 

 

 

 



 
 

 
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