第275話 祝賀の日々(5)郷愁②

文字数 1,143文字

 本願寺からの使者は三名で、
極めて高位の僧達だった。
 織田家の長老 松井友閑、
暫く前に信長に降りた三好康長を介して、
門跡の顕如光佐(こうさ)は既に和睦を願い出ており、
細かな諸条件は当日、
この妙覚寺で詰められることとなっていた。
 とはいえ和睦といっても、
長島、越前と手酷い連敗続きの本願寺なのだから、
今後歯向かうことは致しませんという申し入れ、
要は事実上の嘆願を、
微塵も相手を信じてはいない信長ながら受諾して、
謁見は短く済まされた。

 表面上、信長は礼節をもって接し、
摂津へ帰る使者達に御膳を供させた。

 三人の長老に三軸の名画を持たせた顕如は、
今後、寺が敵対することはなく、
加賀の一向門徒の暴動も強く説得に努め、
鎮静させる旨、誓った。
 仲介者である三好康長までが信長への更なる臣従の印に、
天下の名器「三日月」の茶壷を携えていて、
名物狩りの新たな獲物の数々は信長の満悦をよんだ。

 接待供応は秀政とその家来が担った。
 秀政と一門衆の多くは真宗門徒であり、
その知識、信心から、
役目を果たすのに相応(ふさわ)しかった。

 本願寺は未だ要害、摂津の石山寺を明け渡していない、
であるならば和睦といっても
表向きでしかないことは見え透いていて、
心では刃を研いでいるのか……

 仙千代は秀政の複雑な胸中を思い遣った。
 それでも親鸞の教えに平伏し、尊ぶ者同士、
束の間とはいえ親睦は、
胸を満たすものがあることはこれもまた、
人として自然な感情だと推し量られた。

 源吾に手伝わせ、
仙千代が宝物帳に貢物を記していたところ、
小姓がやって来て、

 「上様が相伴せよと仰せでございます」

 と伝えたので、
あとは源吾に任せ、信長の座所へ向かった。

 信長の膳には肉があった。
 信長は節制に努めていて、
このところのように宴が続くとそれ以外では、
軽く済ませることが殆どで、
接待でもないのに肉を食することはまずなかった。

 「これは鹿の肉ですか。
干し肉ではなく、温かそうな」

 具足山妙覚寺は日蓮宗の本山で、
日蓮自身は肉を摂らなかったが、
宗派として肉食を禁忌としなかったので、
滞在中に魚や鶏が膳に上がることがないではなかったものの、
大型の獣の肉は流石に今までないことだった。

 「うむ。なかなかに美味い」

 鹿は可食部分が少なく、
歩留まりは全体の五分の一が良いところであり、
しかも脂肪が少なく固いので、
よほど達者な料理人でなければ
巧く調理することは難しかった。
 無論、信長の料理人は技術の確かな者だった。

 じっくり蒸し焼きにされた鹿肉は、
程好い塩味に生姜の風味が効いて、
口中にふわっと旨味が広がった。

 「美味いか?」

 「はい。とても」

 満面の笑みとなった仙千代に、
信長も笑顔を返した。
 何故ここに鹿肉があるか疑問が(よぎ)りつつ、
今は信長の上機嫌に仙千代もいったん合わせた。

 
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