第382話 初霜の朝(1)差入れ

文字数 1,350文字

 小弁が万見家で臥せった翌朝、
寝床で抱き合って目覚めた仙千代が
衣擦れの先を見遣ると亀が心配そうに覗き込んでいた。

 「ああ、起きなさった」

 「(ぬく)めてやっておる内、ここで儂も……」

 「今朝は初霜が。
辺り一帯、真っ白に」

 「そうか」

 亀のお陰で炭は絶やされず、赤く燃えていた。

 仙千代は小弁の額に手を置いて、

 「熱はまだ……少し。
が、頬に赤みがさしておる。
 於亀の看病が効いたとみえる。
この後は兵太達に任せ、ゆっくり休め」

 「ありがとうございます。
ひと眠りして午後にまた参ります」

 「無理するでないぞ。
於亀も子を育てる身。
 大事があれば取り返しがつかぬ」

 一晩付き添っていた亀は再度礼を言い、下がった。

 入れ代わるように市江兄弟がやって来て、
特に彦七郎のドシドシという足音は特徴的で、
それだけで誰が来たのか伝わった。

 二人は小弁が快方に向かっているのではないかと見、
安心と喜びを表した後、

 「つきましては殿。
本来なれば昨夕、岐阜へ出立の予定であったのが、
一日遅れとなっております。
 今朝は帰還致しませんと」

 「上様側近たる殿が報せもなく帰城が遅れるというのは
芳しからざることにて」

 「うむ」

 信長が仙千代の不在を歓迎しないことは分かっていた。
が、小弁を人任せにし置いてゆくことも気が進まなかった。

 そこへ威勢の良い声がして、
彦八郎が木戸を開けるとトラとフジが居た。

 彦七郎がすくと立ち上がり、
彦八郎を押し退けるようにして、

 「こらあ!またしてもコソコソと!
ここを何処だと心得る。万見屋敷じゃ。
上様御側近、万見様の御実家じゃ。
 それを勝手に入り込み。
 野良猫はあっちへ行っておれ」

 すると彦八郎が、

 「しかし兄上。
昨日の顛末から致しますればこの二人の働きで
小弁の救出が為ったとも言え、
たいした活躍を見せたと褒めても良いぐらいでは」

 「う、……うむ」

 トラが、

 「しかも儂ら、逃げ隠れなぞしておらん。
万見の旦那様がこちらへ通して下さったんじゃ」

 フジは、

 「これを小弁にと思うて、それで」

 と滅多に見ぬほど大きく太い長葱を頭上に掲げた。

 「葱ではないか」

 と、彦七郎。

 「ああ、葱じゃ、長葱じゃ」

 と、トラ。

 フジが、

 「葱の薬効、知っとるじゃろ。
香りが十分たつよう切込みを入れ、
首へ巻くんじゃ。
 スウスウとして、息が楽になり、
不思議と熱も冷めるんじゃ。
 偉そうにしておるがそんなことも知らんのか」

 神出鬼没に現れては彦七郎に邪険に扱われ、
それでも挫けず、むしろ意気軒高なトラ、フジを仙千代は
面白くも頼もしく思い、

 「何と立派な。
 頂戴しよう。
儂も昔、感冒に罹った時、やってもらったような。
 が、詳しいことは忘れてしまった。
 トラ、フジ、任せる。
 やってみよ」

 と命じた。

 二人は笑顔満面で大きく頷き、
洗いあげた葱に小刀で切れ目を入れ、
小弁の首に巻いた。

 「よもや、葱、盗ってきたのではあるまいな」

 と彦七郎がまだ言っている。

 「儂らが育てた葱じゃ、
尾張一、旨くて甘い長葱じゃ」

 とトラが言い、フジも、

 「うちの畑で採れたんじゃ。
長くて太い、高橋の大葱じゃ」

 と鼻を高くした。

 そこで彦七郎の顔色が変わった。

 「何と。もしや高橋の家の子か」

 兄弟は、

 「高橋虎松!」

 「同じく藤丸!」

 と名乗った。

 

 

 

 

 

 
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