第46話 岐阜城 古い手紙(1)

文字数 1,486文字

 天正三年五月二十五日、
信長は岐阜へ凱旋した。

 武田家は広大な甲斐・信濃を領土とし、
大名家としての今川家の解体に伴って、
駿河をも手中にすると、
信濃と接する三河まで支城を築いて浸食していた。

 強大な武田軍が、志多羅の戦いで、
重臣の多くを失い、
今や甲斐源氏成立以来の危機に瀕している。

 四郎勝頼の次の手は何か……
上杉、北条と組み、
織田、徳川を圧迫するのか……
 大きく損じた兵力を再編するには時を要する……
二の矢、三の矢を繰り出し、
武田をとことん弱体化せねばならぬ、
今こそ!……

 信忠は己を鼓舞した。

 熱田から清須、そして岐阜と、
信長、信忠を迎える城下、街道の人々は勝利に酔い、
沸き立っていた。

 国が強ければ攻め入られることはなく、
戦場となって荒らされることもない。
 国が発展すれば重税を課せられることはなく、
人々の暮らしが楽になる。

 戦う目的ははっきりしていた。
国を護る。領土を護る。民を護る。
 そして、家を護る。

 しかし奥底では、
厭世とまでは言わないが、
暗鬱な思いがしこりとなって残り、
いつまでも溶けず、わだかまっていた。

 岡崎でも熱田でも饗応続きであったので、
信長は岐阜城下や近隣に住まう諸将以外を領地へ帰し、
帰陣式を簡素に行った。

 十二日前、岐阜を発った時には、
内藤昌豊、山県(やまがた)昌景、馬場信春ら、
武田家に代々仕える名将達が岡崎までも脅かさんと、
三河各地の砦に陣取っていた。

 大敗が濃厚となる中、
一門衆さえ織田徳川連合軍に背を向け、撤退する中、
勝頼を戦場から逃がそうと踏み留まった昌豊、
一番隊で突撃し、家康本陣まで達して、
家康に刀を抜かせるという神がかった気迫を見せた昌景、
勝頼を安全な場所まで逃した上で戦場に引き返し、
蜂の巣となった信春ら、
敵将とはいえ、
見事な最期を遂げた名臣、猛将達が、
信忠の記憶に今も鮮やかだった。

 稲葉山の岐阜城天守閣、信忠は一人、
かつて手紙(ふみ)を交わした松姫の筆を目で追った。

 二人の婚姻が成立した時、
信玄の五女である姫は七歳、
信忠は十一歳で、互いが幼く、
また(まみ)えてさえいなかったので、
当初は姫も自分も文言、筆致、
いかにも子供じみていた。
 
 五年の間、信忠は姫とやりとりを続け、
姫の文字が大人びて優雅になり、
信忠も時候の描写に想いを込めたりもして、
二人は一度と会ってはいないが、
確かに互いを慕い合っていた。

 やがて信玄の西上作戦で、
両家の同盟は手切れとなって、
二人の婚姻も畢竟(ひっきょう)、破談となった。

 松姫は今、どうされているのか……
姫と四郎勝頼は母が異なるとはいえ、
勝頼は儂のかつての義兄に違いない……
次期武田家当主は、
織田家の血筋でもある武王丸……
そして、異母弟(おとうと) 御坊丸は、
岩村城から甲斐 躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた)へ送られ、
身を寄せている……

 信忠と松姫の婚姻が成った際、
結納の返礼に、
信玄の名代として岐阜を訪れた秋山虎繫は、
信長より幾らか年長で、
歴戦の将として武名が轟いていた。

 子供だった信忠は、
まだ見ぬ虎繫を熊のような風体の無骨者だと想像していた。
 しかし信玄が代理に遣わせただけはあり、
虎繫もまた甲斐源氏の血を引く古い家柄で、
ただ武辺に秀でるだけでなく、
いかにも教養のにじむ佇まいがあった。

 婚約も婚姻も、
深い意味は分からずとも、
父や家臣達の喜びよう、連日の華やかな催しや宴、
やって来た虎繫の堂々たる様、
武田家の返礼品の珍しさ、
とりわけ十頭の目を(みは)る甲斐の名馬は、
当時、枠にはめられて、
息苦しく暮らす毎日だった信忠を高揚させ、
虎繫の居た日々は思い出の中で輝いていた。

 信忠は松姫の手紙をいつしか握り締め、
感傷に浸るべきではないと知りつつも、
視界を曇らせていた。





 
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