第5話 制勝の朝(5)信仰②

文字数 926文字

 長頼が信長の心理を代弁し、述べた。

 「四郎勝頼は、
甲斐源氏、武田の家督に違いない。
しかし、軍旗は風林火山を許されず、
総白に大の字。
数年前まで諏訪勝頼と称し、
武田の(かばね)を許されもせず。
源氏の棟梁というが、
諏訪と武田の血の相克が四郎を追い詰め、
多くの犠牲を出したのではないか」

 壮年の番頭(ばんがしら)は、
このようなやり取りが可能なだけの教養、
経験を持ち合わせているように映った。
 が、首実検に連れて来られた他の者達は、
非常に若いか、位が低く、
信長や長頼と番頭の会話を解さず、
おどおどしているか、
来たり来る死を前にして、
虚ろな中に恐怖を浮かべているばかりだった。

 四郎という通名が示すように、
勝頼は信玄の四男だった。
 生母が武田の宿敵の娘であって、
家格が低く、
尚且つ、側室の娘であったことから、
勝頼は武田を名乗ることを許されずに育った。
 奇遇にも、
兄達に次々と不都合が起こり、
武田に入った勝頼だったが、
一段と話をややこしくしているのは信玄が、
武田家の次期当主として、
勝頼の嫡男 武王丸を指名し、
あくまで勝頼は武王丸の後見であると遺言し、
他界したことだった。

 「殿は次期当主、武王丸様を、
()く教え導いておられる……」

 と押し殺した声で応じた番頭(ばんがしら)は、
勝頼の名が出ると途端に苦汁の色を濃くし、
歯切れが落ちた。

 長頼は、
話の決着を早く見ようと、容赦なかった。

 「武田家の正式な世継、武王丸殿は、
こちらに()わす上様の甥御様であられる。
それで宜しいのか、玄公(げんこう)は」

 玄公とは信玄のことで、
信長が天正玄公と信玄を呼称したので、
長頼も合わせた格好だった。

 勝頼の正室は、
信長が姪を養女にして嫁がせたもので、
武王丸を産んだ後、若くして亡くなった。
 姫を武田家に入れたのは、
信玄を恐れたからで、
同じ理由で、
嫡男 信忠と信玄の娘 松姫との間に縁組をして、
信長は東の脅威を一旦封じた。

 しかし、
武田の三方ヶ原での大勝利を見ても分かるように、
信玄が存命していれば、
今、信長や家康は、
ここにこうして居なかったかもしれず、
仙千代は番頭を明日の我が身だと戒め、
敵対心や憎悪とは異なる思いを抱いた。

 「我ら武田の武士は、
御旗(みはた)楯無(たてなし)の御威光を堅固に守りゆくのみ」

 番頭の声は厳かにして、
もう揺るぎ無かった。

 


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