第436話 第三部 了に寄せて(10)

文字数 1,149文字

 ……信忠という人②


 家督相続後、
実弟や異母兄から度重ねて謀反を起こされた信長は、
嫡男以外次々に養子へ出し、
信忠のみ手元に置いて帝王教育を授けました。

 信忠の言動は信長というカリスマの陰に隠れ、
多く残されているとは言えません。

 そんな中、信忠が同腹の弟 信雄(のぶかつ)に宛てた書状があって、
これを知った時、
実にプリンス気質の人物なのだと感じたことがありました。

 天正元年八月。
 信長は17歳の信忠を伴い、浅井長政攻略の為、
近江へ進軍しました。
 信忠は初陣でした。
 虎御前山の砦を任された信忠は、
23日付けで信雄に書状を送っています。

 現代語訳では、

 「先日20日、
朝倉義景が落ち延びた先を攻めたところ、
朝倉景鏡が逆心を起こし、義景を自害させた。
 義景の首は近々京都で晒されるであろうとのことだ。
追って吉報をまた知らせる」

 ということらしいのですが、
信長が先頭きって兵を率い、戦う中、
(基本的に信長は前線に立つことを好むようです)
実戦には加わらず陣中に詰める信忠が父の安否、
戦況を案じ悶々としつつも初陣の身では如何ともし難く、
そのような状況下、
吉報を(したた)めたというのが安堵、喜悦、
そして何より弟への情愛も見て取れて何とも人間味があり、
今でいえば満16歳という若さながらも
織田家嫡男としての振舞に立場を弁えた責任感も表していて、
流石、信長が手元に置いて英才教育を施しただけはあると思うと同時、
特に信忠の「気質」が出ているなあと感じ入ったのは、
書状の追伸部分でした。

 「追伸:
 浅井長政の命運も程なく尽きるだろう。
重大なことゆえ、そなたに急ぎ飛脚をもって知らせる」……

 戦国時代でも追伸は本文の後に書かれます。
 この書状では何と冒頭に。
 余白がたっぷり残っているのに何故か冒頭。
 しかも字体が本文と異なっている風情。
 書状の多くは祐筆や側近が代筆するものですが、
主君の述べた文言のその前に違う人物が物を書くというのは
無礼千万にあたり、書いたのはまさにその主以外、
有り得ないと想像されます。
 信忠は信雄への書状で、
初出征に於ける勝利、興奮を自らの手で、
最後、加筆したのでしょう。
 信忠にとり母を同じくする弟は信雄のみ。
(同母の妹はやはり一人、徳川家康の嫡男に嫁いだ徳姫)
 初陣の若殿が離れて暮らす弟に送った吉報、
その追伸部分が伸び伸びスラスラと何の気後れもなく
書面冒頭に書かれていることが、
父母以外に頭を下げたことのない信忠という人の気質を
表していると印象が飛び込んできたのでした。

 感受性豊か、明朗、プリンス気質。
 信忠という人に抱く私のイメージは、
この書状にも端を発しています。

 (注)信忠書状に関しての訳文、寸評は、
『信長戦国の古文書解読サイト/raisoku.com』を引用、
参考にさせていただいています。

 

 
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