第25話 龍城(19)岡崎の朝①

文字数 1,165文字

 天正三年五月二十四日、朝。

 信長により、
三河と遠江の統治をあらためて承認された家康は、
昨夜の騒擾(そうじょう)も、
信忠、信康の計らいで、
後顧の憂いなく落着したということで、
さほど人心の機微を気にしない信長から見てさえ分かる
機嫌の良さだった。

 無論、信長も大いなる満足を得ていた。

 鳶ケ巣山(とびがすやま)砦急襲、長篠城奪還、
志多羅原(したらがはら)の合戦と、
今回の大勝利は、家康のみならず、
信長の生涯に於いても特筆すべき戦いで、
これほどの快勝は歴史を振り返っても、
稀に見る白眉だと思われた。

 今夜の宿泊地である尾張の熱田へ着くのは夕刻だということで、
軽く中食を摂っての出立となった。

 この後、信忠は、
岐阜へ凱旋後、支度を終え次第、
初の総大将戦となる東濃 岩村城攻めが待っていた。
 信長が信忠、信雄(のぶかつ)を志多羅原で河尻秀隆の補佐のもと、
合戦を総覧させたのは采配を学ばせると同時、
若い二人に総大将としての心構えを学ばせる為でもあった。
 
 信忠が向かう岩村城は信長の叔母 (つや)が嫁していた。
後継を遺さぬまま城主が病没し、
信長が五男の御坊丸を養子として入れたものの、
信玄の配下である秋山虎繁に攻め込まれ、
三ヶ月の籠城の末、開城し、
御坊丸は人質として甲斐へ送られ、
艶は虎繫の正室となって男子を産んだ。
 
 信長が長島一向衆に手を焼いて、
身動きのとれない状況下にあったその時期、
信玄が同盟を破り、
西上作戦で三河を侵攻したことに端を発した岩村城陥落で、
信長は非常な怒りを信玄に抱き、
当然、憎悪は虎繫にも向かった。
 強大な武田家を恐れた信長は、
労して信忠と信玄の娘 松姫の婚姻にこぎつけたのに、
宣戦布告も無しに同盟が破られた格好だった。

 艶の夫 虎繫は信忠、松姫の婚姻を成立させる際、
両家を結ぶ武田側の使者だった。
 是非にも同盟を結びたい信長は、
高家である武田家に侮られぬよう、
莫大な贈り物をした。
 信玄が松姫の輿入れを承諾すると、
虎繫が返礼の品々を携え、岐阜を訪れた。
 
 信長は京から料理人を呼び、本膳で応え、
献立は七献もの膳で饗応の上、
猿楽の名手 梅岩大夫を丹波から招いて観劇し、
最後の夜は、
信長の船と同等の(しつら)をした観覧船を長良川に浮かべ、
鵜飼い見物で使者一行をもてなした。
 
 虎繫は武勇に優れるのみならず、
人品骨柄申し分のない男で、
信長は内心、
己の家臣でないことを惜しいと歯噛みする程だった。
 市を嫁がせた亡き浅井長政もそうだが、
人物を見込み、
心頼みにした相手からの裏切りは、
憤怒の炎を燃え上がらせた。
 岩村城を落とし、
城を盗んだだけでは飽き足らず叔母 艶を娶り、
息子 御坊丸を甲斐へ追いやった虎繫を、
信長はけして許しはしないと決めていた。

 齢は十八ながら、
総大将としてどのような戦をするか、
終戦処理をしてみせるのか、
主君として、また父として、
信長は信忠に大いなる期待を抱いた。
 


 

 





 



 

 

 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み