第390話 旅立ち(2)小弁②

文字数 1,397文字

 小弁は療養していたはずだった。
仙千代は四つの選択肢を与え、
快癒後に答えが出たならどの道へ進むにせよ、
困らぬように差配の上だと伝えてあった。
 仙千代一行の出立を聞き付けたか、
足取りも危なげに素足で慌ててやって来るとは
たいそう義理堅いことだと誰もが思い、
彦七郎が、

 「見送りなど良い。
無理せぬでも温かくして寝ておれ」

 と声を掛けると兵太が走り寄り、

 「裸足はいかんぞ、
傷でもこさえたら毒が入るで」

 と抱き上げた。
 齢は不明ながら小弁が小柄なことは確かで、
頑健な兵太であれば抱くも背負うも造作のないことだった。

 小弁は兵太の腕の中で藻搔(もが)き、
手足をバタバタさせた。

 「違うんじゃ、違うんじゃ」

 「こら!落ちるぞ!」

 事実、小弁は落ち掛けて、
よろめきながらも仙千代達に走り寄り、

 「仙様!連れていっておくれ!
皆と行きたい!
 後生じゃ、連れていっておくれ!」

 と膝をついた。

 彦七郎。

 「では決めたのだな、
御家来衆の末席に加わり、下働きに就くと」

 「何でもやる!皆と居れるなら。
仙様達に付いていく!
 置いていかないどくれ!」

 静養の後、熟考の末、
行く道を決めれば良いと申し渡してあったものを、
未だ快癒半ばの身で懇願の為、
裸足のまま駆けてくるとは小弁の深い孤独、
翻って、仙千代らに対する感謝や慕う思いが伝わった。

 仙千代は小弁を立ち上がらせ、
手を取って、

 「何も置いていきはせん。
療養に努めよと言っておるのだ。
 今日でなくとも岐阜で必ず待っておる」

 と言い含めた。

 小弁は頭を激しく振った。

 「今日の今日、連れていっておくれ!
後生じゃ。けして足手纏いにならぬから」

 「だが熱が下がったばかり。
声とて掠れたままじゃ」

 小弁は引き下がらなかった。

 「風邪か疲れか、
ぼうっとして一歩先さえ見えぬ高熱でも、
歩いて歩いて、次の町へ行き、
歌も踊りもやって、
寒風の中、(むしろ)を被って寝て、
また歩いて歩いて、次の町で……。
 儂は大丈夫じゃ!
こんなぐらいではへこたれん!
 置いてきぼりは御免じゃ、
残されるのは嫌なんじゃ」

 仙千代は思わず養父(ちち)を見た。
 
 「柱に括り付けでもしておかぬ限り、
脱走を試みるであろう。
 その根性はたいしたものだ。
 この老身では相手にならぬ。
小弁の勢いは病んでさえそれだ。
 健勝なればたいした働きをするやもしれぬ。
好きにさせてやるしかあるまい」

 いつしか白髪が増えた養父が諦め混じりに微笑んだ。

 「その威勢では鎖を巻き付けておいてさえ、
後を追い、逃げ出しそうじゃ」

 仙千代は頷いた。
 すると養母が、

 「かくなる上は少しでも暖かな着物を。
仙千代殿の昔のものがあったはず。
 新しい草履も、早う。
 それと薬も持たせてやるように」

 と亀に指示をした。

 暫しの後、仙千代らの前に戻った小弁は、
仙千代がかつて着ていた素朴な小袖に新品の草履、
手拭いを二本か三本か、首へ巻いてももらい、
その襟元は虎松、藤丸が差し入れの葱が覗いていた。

 「葱は嫌いではなかったのか」

 彦七郎が悪戯っ気で問うと、

 「思いやりじゃけ。虎や藤の。
それは知っとるで」

 と襟を両の手でぐいと合わせ、

 「歩いておるうちに体は温まる。
今までそうじゃった。
今日も同じ!大丈夫じゃ」

 と口元を引き締め、
別れの挨拶と世話になった礼を万見家の人々に告げた。
 役者は礼の述べ方は知っており、
その点、底辺の者とはいえど山出しの子ではなかった。


 

 

 
 

 
 

 

 

 

 



 


 
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