霞がかった意識が急にハッキリとして耳に入る人の話し声と気配に薄目を開くと見知らぬ天幕が広がっていた。
思考がはっきりとしアイリ・ライハラは目覚めると右手を握りしめられていることに気がついた。顔を向けるとイルミ王女が微笑んだ。
その手を振りほどきアイリは跳び起きると豪勢なベッドに
胡座をかいていた。
咄嗟に自分の肌着をめくり脇腹に視線を落とすとあるはずの刺し傷が
痕もなかった。
「もう、心配ないのよ」
「
あんたの寝室に
暗殺者が入って来て──」
そう少女が問うと咳払いが聞こえその方へ振り向くとベッドの反対側に見知った顔があった。
「アイリ・ライハラ、よく王女の命を身を
呈して守ってくれた」
鎧姿でなく紫のタバード(:中世のポンチョに似た紋章入りの着衣の一種)姿のリクハルド・ラハナトス騎士団長と眼が合いアイリは慌てて肌着を下ろした。そうして王女に顔を戻すと自分の怪我のことを尋ねた。
「わたし、あの
暗殺者に
衝立越しに刺されたのに──」
少女の疑問にとても嬉しそうな面もちのイルミ王女は簡単に説明した。
「我がディルシアクト城には、色々と珍しいものがあるの。勇者達冒険者が未踏の地より持ち帰った秘宝の一つに、
殆どの傷を癒やす薬があってそれを使ったのよ」
安心したアイリはすぐにもう一つの心配を思いだし、騎士団長の方へ振り向いた。
「
暗殺者は!? 逃げ延びているの?」
少女の質問にラハナトス騎士団長は一瞬得意気な面もちを浮かべ顔を引き締めた。
「心配いらぬ。そちが言い逃れのできぬ証拠をイルミ王女に伝えてくれたので、城内のすべてのものを検分し、1人隠しようのない傷を負ったものを捕らえた」
「案内して!」
その知らせにアイリは一言騎士団長へ頼むとベッドを滑り下り、横に置いてある台の上に畳まれた自分の濃緑色の服を着込んだ。そうして身支度を整えて壁に立てかけられた細身の剣をつかんだ。それを見ていた王女が不安げに尋ねた。
「アイリ、どうするの?」
「イルミ、あなたは来ない方がいい。これから手荒な方法で殺し屋を締め上げて依頼主を吐かせるから」
困惑げな表情の王女に代わりラハナトス騎士団長が答えた。
「よろしい! その心意気。来たまえアイリ!」
アイリは騎士団長へ
頷き、王女に振り向いて左手を向けて指を妖しく
蠢かせてみせると、王女が驚きの表情を浮かべそれが苦笑いに変わった。
少女はラハナトス騎士団長に付き従い
居館の通路から別な
居館に渡り歩き、大理石の続いていた通路が、荒い
煉瓦敷きのものに変わるとそこが高貴なものが
往き来する通路でないと知った。
そうして
螺旋階段を下りて
槍を手にした衛兵の番する重厚な木戸の前に出た。
ラハナトス騎士団長の顔を見ただけで衛兵は腰のベルトに下げた
鍵束を取り外し1つの鍵を選び木戸の鍵穴に入れ重い金属音を立て錠を外すと、
自ら扉を開き
松明の少ない冷え切った通路を先導し進んだ。
左右には
鉄格子で塞がれた
牢が並び、その暗闇に幾つもの人の気配を感じながら、アイリは最後を歩いた。
ここには犯罪者だけでなく異端審問により死刑を言い渡され刑を待つものや、魔女裁判で真正だと下されたもの、
戦で捕らえられた敵国の騎士や兵もいるだろうとアイリは心穏やかではなかった。
5つの
松明をくぐり、たどり着いた奥の
牢の際で衛兵が立ち止まると、ラハナトス騎士団長がアイリに顔を向け
顎でこの
房だと無言で告げた。
鉄格子の先の闇から突き刺さる敵意を少女は感じ取った。
「開けて、わたしが中に入る」
アイリの申し出に衛兵は騎士団長の顔色を
伺い彼が
頷くと
鍵束から鍵を選び
鉄格子端の
潜り戸に近づき中にいるものに高圧な口調で命じた。
「扉から離れ
牢の奥角に向いて
跪け。従わぬなら
牢に逃げ場なきほどの
藁を放り込み火を放つぞ!」
返事はなく
鉄格子向こうの暗闇で人の気配が遠ざかった。
鉄格子の扉が開かれると、少女は頭をかがめ中へ入り衛兵に頼んだ。
「わたしが捕らわれの身になっても決して開けないで。それと腰に差すミセリコルデ(:トドメをさす短剣)とスクラマサクス(:一般的な西洋剣よりやや短めの剣)を貸して」
衛兵は騎士団長に顔を向け指示を
仰ぎ、彼が
頷くと2本の剣をスキャバード──
鞘とシース(:短剣用の
鞘)から引き抜き少女にハンドルを向け手渡し扉を閉じた。
閉じ込められ少女は一呼吸間をおいて
牢の奥で背を向け
跪いている何ものかに声をかけた。
「わたしが刺した肩が
疼く?」
返答はなかったが、敵意に好奇心が混じったのをアイリは感じた。
「衛兵、
松明を
鉄格子の前に持ってきて」
アイリがそう頼むとすぐに揺れる灯りが
牢を照らした。
奥に
跪いているものの姿を見てアイリは
僅かに驚いた。
背中までの髪を垂らす、麻布のケープ姿の若い女だった。
アイリはその女の真横にスクラマサクスを放り出した。剣が派手な金属音を立てても女は微動だにしなかった。だがしっかりとした声で言い返した。
「剣を握ったら、それを理由に
叛逆罪で殺すんだろ」
その冷ややかな言葉に少女は軽く笑い声を上げた。
「あはははっ、あんた達
暗殺者はそのようにものを考えるんだ」
アイリの言い分に初めてその捕らわれ
人は
僅かに顔を向け横目で少女を見ようとした。その好奇心膨らむ女にアイリは説明した。
「決着をつけに来たんだ。お前が勝てばアイリ・ライハラの名において無罪放免でディルシアクト城から出してやる。わたしが勝てばお前の
雇い主の名を吐いてもらう」
「信じられんさ」
「どうして? お前の肩のハンディとわたしが同じ立場に立っても信じない?」
そう告げた
刹那、アイリ・ライハラは治ったばかりの
己の脇腹にミセリコルデを突き刺した。