第26話 あなたのために
文字数 2,121文字
どういう成り行きかアイリ・ライハラが十字軍将軍になってしまった。
これは何かの間違いだと思いながら元異端審問官ヘッレヴィ・キュトラは己の身に降りかかった災厄を受け入れきれずにいた。
アイリ・ライハラの下、大陸全土の異端者を一掃し教会の地位を揺るぎなきものに。
教皇ヨハネ・オリンピア・ムゼッティを動かしたのは他ならぬ少女の一言。
「こいつあんたらのせいで仕事無くしたんだ。元の仕事以上のやりがいのある仕事に戻せ! じゃないとバックレるぞぉ!」
アイリがあのようなことを言い出さなければ全教区統括異端審問司祭という耳を疑うような大層な役を仰せつかることなどなかった。大陸全土の異端審問官を統率しすべての異端審問官を指揮する立場。両親が知ったら歓喜に震えるのは眼に見えている。
だがこれが少女の狡智でないと誰が言い切れよう。
我を主座に据えた彼女をもう誰も魔女嫌疑で訴えることは叶わぬ。
知恵まわる娘だと思っていたがそれ以上だった。
だが貴君はそれでいいのか? カラサテ教の提灯持ちとして祭り上げられこれから様々なことで雁字搦めになるのだぞ。
我の如く。
周りを8人の従者が固め、この木枯らし前の季節でさえ暑苦しく重い祭服に主教帽を被らされヘッレヴィ・キュトラは解放されたいと切に願った。
祖国デアチのファントマ城正門で少女が新たな王妃イルミ・ランタサルに何か告げているのが前面に広がる騎士らの腕の間からかろうじて見える光景に主君と騎士の感動の対面とヘッレヴィ・キュトラが思っている寸秒、イルミ・ランタサルが王妃がおもむろに立ち上がり腰に片手当て力強く右腕振り回し猊下を指さした気迫が長剣を振り向けたように見えた。
「思いだしたわよ! あんたお下げ髪を引っ張られわんわん泣いてた奴ね!」
聖下が痙攣したように教皇御輿の椅子から腰を浮かしイルミ・ランタサルへ片腕振り上げた。だがその腕が心なしか震えて見えるのは眼の錯覚かと、斜め後ろにいる全教区統括異端審問司祭の顔が強張った。
「な、何を言いだすの!? 配下の騎士が十字軍総大将になったからと血迷ったかぁあぁ!」
うっ、うろたえている──教皇が取り乱している、とヘッレヴィ・キュトラは眼が点になった────だけでなく動じない列強の騎士らが動揺しざわつきだした。
火に注ぐ油。若すぎる王妃が勢いを増し腰に当てた手の指を妖しく蠢かせている。
「あははははぁ! あのころを思いだしたわ! あんた教会前で私に馬糞を投げつけられて気絶したでしょ!」
御輿の席で猊下がプルプルと震えながら叫んだ。
「なっ! 何をあらぬことを、さ、さも得意気に! その次のミサの時に犬をけしかけられ逃げ回ったのを忘れたのぉおおっ!」
王妃にアイリ・ライハラがしがみつき振り上げた腕を下ろさせようとする傍ら何十人もの十字軍騎士らが教皇へと振り向き仰ぎ見てる。何が真実か気づき始めていると役人復帰女は思った。
「あははははぁ! その犬にあんたんとこの馬車の二頭立ての馬が驚いて竿立ちになって馬車がひっくり返りあんた親父から皆の前で尻を叩かれていたでしょ!」
ゆっさゆっさと教皇が御輿上で暴れるので、支える下人達が引き攣った顔で落とすまいとばたつきだす。その上で猊下が顔を真っ赤にして歯をぎりぎり言わせているのが聞こえた。
「あらぁ、また思いだしたぁ! ミサの最中に襟首にイモリを入れられあんた暴れ回って祭壇ひっくり返しマリア様の像を倒して腕折って出入り禁止にされたじゃない!」
滅多切りだ! イルミ・ランタサルの辛辣な思いで話にヘッレヴィ・キュトラは上に座る女ボスが哀れに思えてきた。件の女は肘掛けをぐっとつかみ教皇御輿から落ちんばかりに身を乗りだし怒鳴った。
「うぬぬぬぬ! このぉ! お前のせいで家を別教区に引っ越す羽目になったのをお忘れかい!」
それは威張り方が違うような気もするが──ヘッレヴィ・キュトラはこいつもしかしたら大した女ではないのではと開いた口が塞がらなくなった。
少女に鼻と耳を握られ引っ張られひどい顔を横へと逸らされながら教皇よりも10歳以上若い女が剣から槍への攻撃に切り替えた。
「あ────ら、その教区の教会調べだし司祭の格好で待ち構えていたら、ミサが始まりあんた気づいて家族なり教会から一目散に逃げだしたじゃない!」
きっつ────ぅ! と騎士らの間から声が聞こえ最早ヨハネ・オリンピア・ムゼッティに勝ち目はないから止めようと声をかけるものが出ても教皇は耳貸さず言い返した。
「そこまでほざくならいいでしょう。我も暴露するわよ! あんたの城に悪霊がいると騒ぎになって従者が何人も里帰りしてあんたら王族は生活に困ったでしょう! ────あれは──我が忍び込みシーツ被り徘徊したからよ! ざまあ見ろですことよ!」
聞こえた全員の眼が点になった。
これ以上は教会の面目に関わると十字軍騎士らが寄って集りヨハネ・オリンピア・ムゼッティを引き摺り下ろしにかかった。
「あははははぁ! あんたの屋敷前に鰊漬けの樽を────」
これ以上はデアチ国の立場というものに関わるとデアチ国騎士と兵士らがイルミ・ランタサルを取り囲み押さえ込んだ。
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