第18話 裏の魔女
文字数 3,064文字
揺らぐランプの灯りに壁に映る人影二つが魔物のように崩れ向かい合う。
「それで手引きしてやって来た北の隣国ウチルイからの暗殺者はしくじったのか?」
問いかけたしわがれた声の男は青銅のグラスに入ったロゼを紫紺のフードに傾け唇をつけ口の中で転がした。
「王女暗殺未遂に端を発した城内の捜索で何ものかが捕らえられたと耳にして見に行ったが、ひ弱そうな女だった。あれは手引きして城内に入れた暗殺者ではないな。嫌疑が晴れ牢から出され王族の居館に連れて行かれるのを見たものがおる。本物の暗殺者なら今も厳しく取り調べられてるだろう」
答えた赤紅のフードを被った男もグラスを手にしていたが、話しの内容に気をとられまだ一口も赤ワインを口にしていなかった。
「なら、まだ暗殺者はどこかに潜みイルミ王女を亡き者にしようと機会を待っているのだな。我々が画策したと発覚してはまずいので、暗殺者には直接の接触をしなかったのがまずかった。顔を見ておくべきだった。しかも名もわからぬでは、仕事を急かすこともできぬ──」
言葉を切り紫紺のフードの男は不満げにグラスを木製のテーブルに叩くように下ろし話しを繋いだ。
「──王女が王位を継承する前になんとかせぬと厄介なことになるぞ」
意を共にする傀儡のその決意に赤紅のフードの男が鼻で短く笑い、声をひそめた。
「焦るな。王女と王を亡き者にすれば王位継承者はいないのだ。そうすれば隣国ウチルイがどのような口実でも乗り込んでこれる。その時、我らが王族のものとして扱われる密約で家臣という責職から解放される日となる。それに暗殺者が万が一失敗しても──」
赤紅のフードの男がなおも含み笑いのような声をこぼした。
「──大騒ぎになるだろうが、あれに襲わせたなら、暗殺が東のイモルキの仕業となり王の眼と力はイモルキへと注がれ、北の隣国ウチルイがわが国に乗り込むチャンスになる」
「あれか──城下に用意はできておる。明日にでも仕掛けるか」
一つの結論に到ると紫紺のフードの男はグラスにさらに酒を注ぎ、赤紅のフードの男も初めて酒に口をつけた。
「聖職者に魔女だと言われだしたら油に着いた火のごとく消すことはとても難しいでしょう」
イルミ王女の冷静な説明に耳を貸しながらベッドに胡座をかいて顔に残ったクリームと割れた生地を食べていたアイリ・ライハラはいきなり手を叩き合わせた。
「そうだ! 名案がある!」
「魔女退治すれば教会も魔女だと言いにくくなるぞ」
アイリの提案に王女は腕組みして眉根を寄せた。
「そんなに易々と都合よくそこら辺に魔女がいるものですか」
「うーん、だめか。私みたいに可愛くて美人でモテモテの女が魔女のわけないんだがな。魔女ってみんな鼻の曲がった顔にでかい疣のある婆さんだと相場は決まってるだろ」
イルミ王女が3つ目のパイを右手に持ち上げたのでアイリは枕を顔の前に回し防ごうと構えた。その2人にイラ・ヤルヴァが面白い話をし始めた。
「魔女が老婆だと皆が言うのは実際に老婆が多いからです。ですがアーウェルサ・パイトニサム──裏の魔女のキルシは見てくれはとても若く、その魔導の知識は数百歳のものだと言われています」
「そいつどこにいるの?」
アイリが食いつき尋ねた。
「キルシは人が望まぬ場所、望まぬ時に現れ人の絶望を集めてまわります」
「あぁ──だめだわ! 会いに行って倒そうと思ったのに」
少女がムスッとふてくされた面もちになると、王女がたしなめた。
「やめときなさい。いくらあなたがすばしっこくても、魔女には歯が立たないわよ」
「まるで見てきたみたいに言うじゃん」
アイリがからかうとイルミ王女は薄ら笑いを浮かべ少女に右腕を上げ手のひらを上に向けた指を妖しく蠢かせた。それを眼にして少女は眉間に皺を寄せ窓の方へ顔を背けた。
カーテン越しの外はうっすらと明かりがさしていて、まだこの時の3人は今日降りかかる災厄の欠片すら意識してなかった。
同時に踏み込んだ近衛兵4人をいとも容易く鞘に入ったままの剣で突き倒した。その中央には昨日近衛兵副長となった少女が朝稽古に連れてきた若く美しい女が凛として立っていた。
アイリがイラ・ヤルヴァを倒せば、彼女かアイリ自身がデートの相手をすると宣言し、華奢に見える女に次々と男らが挑んで倒されていた。
16人を倒してなお息も乱さず、剣すら抜かない女──イラ・ヤルヴァがただ者でないと男らが気づいた時には男らも退くに退けない状況に追い込まれていた。
「なっさけね──なぁ。お前らこのまま全滅したら今日1日飯抜くからな!」
小さなコロシアムの端に立つ兵装のアイリが右手で立てていたランス──ヴァンプレイト(:大きな笠状の鍔)がついた細長い円錐の形の槍の先端を皆に振り回し、振り向いた倒されていない近衛兵の男らが顔をひきつらせた。少女の横には剣の先を地面に突き立てハンドルの後部に両手のひらを載せている近衛兵長ライモがニヤニヤしている。その顔がお前ら情けないぞと無言で語っており、アイリの宣言が口先だけの脅しではないと誰もが焦りを浮かべた。
「我が主君──アイリ・ライハラに挑むのなら、まずこの我に一太刀浴びせてみせろ。さすればアイリ・ライハラは近衛兵副長の座を賭けて相手をするだろう」
兵士らの大きな円陣の中央に立つイラ・ヤルヴァにさらに5人の男らが挑み出た。
そのコロシアムから城壁一つ隔て広がる城壁都市の西区の裏通りにある一つの倉庫。
その扉の裏手にアイリ・ライハラと同じ年頃に見える少女が暗い庫内で足元に広がる三重の魔法陣の輝きに顔を下から照らしだされ、年齢に不釣り合いな不気味さを漂わせていた。
その少女の先の暗がりに立つのは、少女よりも僅かに上背のある人影。
「我が忠実なる隷にして屈強なる兵士よ。我、創造し命を授けし理は一つ。王女イルミ・ランタサルとその父ウルマス国王の心の臓を供物とし我に捧げよ。さもなくらんば永遠の命を授ける」
少女の広げた両手の振り一つで魔法陣が輝きをさらに増し、奥の暗がりに立つ人影の双眼が赤いルビーのような光を浮かべ、体中に彫り込まれたヘブライ語の旧約聖書の14章19節から21節が溶岩の赤熱の輝きを溢れさせた。
「渇望せよ、ガウレム!──行くのだ!」
アーウェルサ・パイトニサム──裏の魔女のキルシが命じると土塊から生み出された兵士はゆっくりと突き進み始めた。
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