第7話 ああ、踏まないで

文字数 1,607文字


 あ! 最悪だ!

 開いた河水の緞帳(どんちょう)(あい)に見えたそれ(・・)

 寸秒、冥府の船頭(せんどう)カローンはどうすることもできずなされるがままになった。

 目の前で大振りされる(おの)が唯一の所有物。

 なんで水中でそんなに速くものを──しかも当の小娘よりも数倍長い小舟の振り回せるのだ!?

 速すぎて小舟が(たわ)(かす)んで見えた。

 獣革を木製の骨組みに張り付けた小舟がどうしてこんなにも痛いんだと(たた)きつけられた瞬間思った時にはすでに多量の水を巻き添えにしながらカローンは空中高くに飛ばされていた。


 苦悩の河(アケローン)の河守りをして数千年。


 ハデスの地に渡す死者にこうも(たた)きのめされるのは初めてだとカローンは思いながら叫んだ。



「ひぇぇぇぇぇぇぇええ!」



 くるくると回転しながら急激に岸が視界に広がると土煙どころか多量の岩石を爆轟を響かせ弾き上げ岸に激突した。

 少々のことと死なぬは眷属(けんぞく)の特権。

 土と石をぼろぼろと落としながらすくっと立ち上がった老人は髪と髭の砂を払い落とした。

所詮(しょせん)亡者(もうじゃ)──この程度。さて、目にもの見せてやるとするか」

 捨てぜりふを吐き右腕を振り上げ二の腕に力瘤(ちからこぶ)を盛り上げた瞬間、いきなりカローンは地面に顔から突っ込んだ。

 両腕を立て顔を振り向けると紫の甲冑(アーマー)を身に(まと)う相似の女2人が(にら)み下ろしていた。

「なんじゃお前ら! ついこの間、河を渡した騎士の亡者(もうじゃ)2人ではないか。河守りを足蹴(あしげ)にすると──!」

 躊躇(ちゅうちょ)しない女2人に蹴り倒されカローンはまたもや土に顔をうずめ(あわ)てて両腕を立て顔を引き抜き振り向いて(わめ)いた。

「なっ、狼藉(ろうぜき)ものがぁ! お前ら苦悩の河(アケローン)に沈めるぞぉ!」

 言い切った直後、女に口喧嘩を挑んだのが間違いだとカローンは思い知った。双子の騎士の1人が腰に両手当てたまま身を乗り出し老人をなじった。

「やってみろよ(じじい)! 河渡る時には散々(えら)そうに説教しやがってぇ! 小娘になんてザマだよ! 口ほどにもない!」

 その1人がまた蹴ろうと片足を上げカローンは顔を(かば)おうと両腕振り上げ(あわ)てふためきいた。

「まっ、負けてはおらぬぞ! 苦悩の河(アケローン)を泳ぎ渡れるものなどおらぬ! あの青髪の小娘、この先千年は岸に上がれぬわ!」

 言い切った老齢の背中をマカイのシーデの妹──テレーゼ・マカイが蹴り込んでカローンはまたしても土に顔を(うず)め砂を咬んだ。

 口の中の土を飛ばしながら三度顔を振り向けたカローンが振り向くと蹴り込んだ女騎士が河へ腕を振り上げ指さし冷ややかに言い切った。

「あぁん!? あれを見てみろ。先千年は岸に上がれぬだと!?」


 言われ顔を向けたカローンは目をひんむいて(あご)を落とした。



 川面(かわも)に割れ板を浮きにしてばた足で遠ざかる少女の後ろ姿が見えていた。



 そ、そんなぁ!? 苦悩の河(アケローン)は世界一の濁流(だくりゅう)。それを泳ぎ煉獄(れんごく)に戻るなど不可能。水流に揉まれたものはすべからずハデスの地に流され着くのが定め。な、なんであの小娘は泳ぎ戻れるのだぁ!?

 いきなり背中踏まれ舟をなくした河守りはまたもや顔を土に埋め(うめ)くとなじられた。

「おらぁ! どうするんだぁ! 我らは向こうに行けないんだぞ! あいつが生き戻ったら代わりにお前を向こう千年切り刻んでやる!」

 双子の姉妹ハモって背に浴びせられた言葉に凄まじい怒気を感じてカローンは逃げようと()いずり始めた。

 なんでこいつらあの小娘にこうも執着してるんだ!? まるで積年(せきねん)の怨みでも────地に上がった船頭(せんどう)はハタと思いつき口にした。



「さてはお前ら──あんな小娘に()られたのかぁ?」



 背骨折れそうなほどの衝撃を感じてカローンは手足を開いて肺の空気をすべて絞り出した。重みに横目で見たのは背と腰に相似の騎士が乗りしゃがみこんで2人揃って(のぞ)き込む顔だった。

「お前、そのあんな(・・・)小娘に打ち上げられたんだよな──」

 押し黙った河守りにソバージュの金髪が触れるほど顔を近づけきたのが性格の悪い方だとカローンが思った寸秒耳元で(ささや)かれた。



「────だよな(・・・)



「はい──左様(さよう)です」





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登場人物紹介

 アイリ・ライハラ

珍しい群青の髪をした15歳の美少女剣士。竹を割ったようなストレートな性格で周囲を振り回し続ける。

 イルミ・ランタサル

16歳にして策士策謀の類い希なるノーブル国変化球王女。アイリにくるんくるんだの馬糞などと言われ続ける。

 ヘルカ・ホスティラ

20歳のリディリィ・リオガ王立騎士団第3位女騎士。騎士道まっしぐらの堅物。他の登場人物から脳筋とよく呼ばれる。

 イラ・ヤルヴァ

21歳の女暗殺者(アサシン)。頭のネジが1つ、2つ外れている以外は義理堅い女。父親はドの付く変態であんなことやそんな事ばかりされて育つ。

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