第10話 情
文字数 1,983文字
身震いをしてクラウス・ライハラは湯を掛け流した。
風邪をひいたと思う前に東の壁をじっと見つめた。
娘はこだわって帰っていった。
何をどう受け取ったか多くを騙 らずに固い眼差しでアイリが踵 を返した瞬間、落雷に打たれたような戦慄が背筋をつらぬいた。
娘はイモルキに向かう。
父が教えなかった間 を自 らの眼で確かめるつもりだ。
クラウスはまた身震いし湯船につかった。
教会の正式な婚姻があるわけではない。第1後妻のアガータ・ライハラはウルマス国王の命 のもとクラウス・ライハラの世話をするようになった。
飲んべえの女たらし──それが第一印象だった。
だが同じ屋根の下暮らすようになっていまだに手ひとつ握らない。アガータはもうこの男はと安く見たりはしていなかった。亡くなった妻を思い、娘を愛し、地道に暮らす男を本気で好きになってしまった。
第2後妻のパラメラ・ライハラも第3後妻のスティナ・ライハラも同じ思いだとアガータはよくわかっていた。
クラウスは東の大国イモルキの宮廷魔導師 だったらしいと酔った勢いで口にしたことがあった。
アガータは驚いた。
宮廷魔導師 なら騎士団長と同じ扱いを受けるにたる資格を持つ。ノーブル国とイモルキで違いあれど決して劣ることはない。そんな魔法使いが鍛治場でぶんぶんと大剣 を振り回すのをアガータは何度も眼にした。
こんな男が田舎村の鍛治場でくすぶっている。
どうやらアイリ・ライハラはその理由を聞きにきていたらしい。クラウスは言葉少なに娘の問いをはぐらかしているように聞こえた。
後妻が口だしするようなことではなかった。
父親と娘の腹の探り合いだった。
そこまで真剣になるのも愛情ゆえの駆け引きだった。
お子さま────そうアイリ・ライハラは時々口にする。都合悪くなるとそう切り抜ける。言葉の意味をよく理解している賢い娘だった。
アガータは2人を抱きしめたいと時に思う。
後妻はそこまで入り込めるのだろうか。
パラメラ・ライハラはこの所帯を殊 の外 気に入っていた。
一人娘アイリ・ライハラは16歳で北の武国デアチとノーブル国の合同騎士団長を務める才女である。
その娘を誇 りにし、田舎村で細々と鍛治業を営む。アイリがノーブル国王室に奉公にでた際、膨大な報償金を受け取っているはずなのに、自分で稼いだ以上には飲まず、遊ばず地道に生きる。第1後妻のアガータや第3後妻のパラメラがこの男クラウスに思い入れを抱くのと自分は少し違うとパラメラは思っていた。
あくまでも派遣された立場を逸脱 せずクラウス・ライハラがウルマス国王の意向に逸 れぬ行いを続けているか見守る。
報償金で放蕩三昧 するでもなく、毎日陽が暮れるまで金鎚 を振るう寡黙 な男。アガータやスティナと肉体関係を持っているとも思えずかといって迫ってくる素振りもない。
誠に不思議な男だとパラメラはクラウス・ライハラに一目置いていた。
そういえば、彼はイモルキの宮廷魔導師 だったという。酒に酔った絵空事だと思ったが、パラメラはクラウスが魔法をつかうのを見たことがあった。
鍛治の火壺 にうまく火が乗らず、クラウスが魔法で火種を入れるのをパラメラは眼にした。
炎を魔法で起こすのはそう難しくないらしい。だがその火を何かに使うのはことの外 難しいらしい。火というものは人の手に馴染みにくい代物だそうだ。
鍛治場だけでなく時々クラウスはめんどくさがり湯釜の火を薪 なしで起こしたりする。
パラメラはクラウス・ライハラのそんな人間性が大好きであった。
風呂から下着姿で出てきたクラウス・ライハラを第3後妻のスティナは毛足の長い大判の布で包んであげて湯冷めしないように気をつかった。
クラウス・ライハラはしっかり者のようでどこか抜けている。
一人娘のアイリの方がよっぽどしっかりしている。
アイリ・ライハラは王室に奉公に出るなり近衛兵副長に召 し抱えられ、それが半年もせずにいきなり騎士団長になった。リディリィ・リオガ王立騎士団には女の騎士が2人いるが、ベテランのヘルカ・ホスティラを追い抜いて16で騎士団長になってしまった。
クラウスは酔った勢いで娘の自慢を口にしてよく絡む。
この人はいったいどうやって男手で娘をあそこまで育て上げたのか。
食事にしますか、晩酌にしますか、と問うと酒を口にして何かの思いを呑み込む。この人が娘以外に何を抱え込んでいるのか、後妻という立場を越えて聞いてあげたいとスティナは思う。
クラウス・ライハラは娘の姿に誰かを重ねているとスティナは見抜いていた。
それがどこの誰かは知れぬが、もしかしたら会えぬ前妻の子の姿を重ねているのかとスティナは時々思う。
パラメラが食卓の用意ができたと声をかけて振り向いたクラウス・ライハラが身震いしたことにスティナはもう1枚毛足の長い大きな布を取りに奥へと踵 返した。
風邪をひいたと思う前に東の壁をじっと見つめた。
娘はこだわって帰っていった。
何をどう受け取ったか多くを
娘はイモルキに向かう。
父が教えなかった
クラウスはまた身震いし湯船につかった。
教会の正式な婚姻があるわけではない。第1後妻のアガータ・ライハラはウルマス国王の
飲んべえの女たらし──それが第一印象だった。
だが同じ屋根の下暮らすようになっていまだに手ひとつ握らない。アガータはもうこの男はと安く見たりはしていなかった。亡くなった妻を思い、娘を愛し、地道に暮らす男を本気で好きになってしまった。
第2後妻のパラメラ・ライハラも第3後妻のスティナ・ライハラも同じ思いだとアガータはよくわかっていた。
クラウスは東の大国イモルキの宮廷
アガータは驚いた。
宮廷
こんな男が田舎村の鍛治場でくすぶっている。
どうやらアイリ・ライハラはその理由を聞きにきていたらしい。クラウスは言葉少なに娘の問いをはぐらかしているように聞こえた。
後妻が口だしするようなことではなかった。
父親と娘の腹の探り合いだった。
そこまで真剣になるのも愛情ゆえの駆け引きだった。
お子さま────そうアイリ・ライハラは時々口にする。都合悪くなるとそう切り抜ける。言葉の意味をよく理解している賢い娘だった。
アガータは2人を抱きしめたいと時に思う。
後妻はそこまで入り込めるのだろうか。
パラメラ・ライハラはこの所帯を
一人娘アイリ・ライハラは16歳で北の武国デアチとノーブル国の合同騎士団長を務める才女である。
その娘を
あくまでも派遣された立場を
報償金で
誠に不思議な男だとパラメラはクラウス・ライハラに一目置いていた。
そういえば、彼はイモルキの宮廷
鍛治の
炎を魔法で起こすのはそう難しくないらしい。だがその火を何かに使うのはことの
鍛治場だけでなく時々クラウスはめんどくさがり湯釜の火を
パラメラはクラウス・ライハラのそんな人間性が大好きであった。
風呂から下着姿で出てきたクラウス・ライハラを第3後妻のスティナは毛足の長い大判の布で包んであげて湯冷めしないように気をつかった。
クラウス・ライハラはしっかり者のようでどこか抜けている。
一人娘のアイリの方がよっぽどしっかりしている。
アイリ・ライハラは王室に奉公に出るなり近衛兵副長に
クラウスは酔った勢いで娘の自慢を口にしてよく絡む。
この人はいったいどうやって男手で娘をあそこまで育て上げたのか。
食事にしますか、晩酌にしますか、と問うと酒を口にして何かの思いを呑み込む。この人が娘以外に何を抱え込んでいるのか、後妻という立場を越えて聞いてあげたいとスティナは思う。
クラウス・ライハラは娘の姿に誰かを重ねているとスティナは見抜いていた。
それがどこの誰かは知れぬが、もしかしたら会えぬ前妻の子の姿を重ねているのかとスティナは時々思う。
パラメラが食卓の用意ができたと声をかけて振り向いたクラウス・ライハラが身震いしたことにスティナはもう1枚毛足の長い大きな布を取りに奥へと