第6話 水蛇

文字数 1,577文字

 死者の魂をハデスの地に渡すようになって幾先年。獣革の渡し舟から殴り落とされたのは初めてだとカローンは思った。

 しかも小娘の腕力は相当なもの。

 意識がはっきりするのにかなり沈み込んだ。

 (からだ)を波打たせ水を蹴る。

 (おのれ)の舟を(にご)りの水で見失うことはなかった。

 神の眷属(けんぞく)として人の小娘に好き勝手させるわけにはいかないと彼は矜持(きょうじ)にとらわれた。


 あの小娘は重石(おもし)をつけ千年川底に沈めてやる!





 水柱を上げ河渡しの(じい)さんが見えなくなってもアイリ・ライハラは安心できず辺りを見回していた。

 水流は速く濁っていて下は見えなかった。

 あのカローンは岸から乗り込んだのではない。

 河に小舟を漕ぎ出してしばらくして舳先(へさき)に手をかけ()い上がってきたのだ。

 なら泳ぎ達者なのだ。

 でなければ──少女は船底を(かかと)で蹴って身動きを止め耳を傾けた。

 水流の音以外に何も聞こえてこない。

 まさか船底にしがみついていた──アイリは(かぶり)振った。

 岸から結構離れるまで息を止めていたなんて考えられない。

 だけどこの流れで泳げるの?

 ラッコでも流されそうなほど波打っている。

 カローンが人の姿をしていたと油断してはならない。


 辺獄(リンボ)の住人────人であるはずがなかった。


 まずい! 小舟には砕けた()()ぐらいしか武器になりそうなものが残されていなかった。

 アイリは()()を足元から拾い上げ手首のスナップで折れギザギザの尖った方を先に向けた。

 小舟の不規則な揺れが一瞬止まりふたたび揺れだした。その動きが変わったと少女は思った。


 船底に()かれた!?


 神に擬する1人──倒したら(バチ)が当たるだろうなぁとアイリはため息をついた。その直後、小舟が横に傾きだした。

「おいおい、自分の小舟を沈めるなよぉ────」

 舷側(げんそく)が波に呑み込まれ飛沫(しぶき)が多量に流れ込み始めると少女は一瞬眼を寄せ大きく息を吸い込んだ。



 悪いけど俺────の眷属(けんぞく)なんだ。



 受けて(およ)ぐ!



 そう意識した寸秒アイリ・ライハラは息を止め川面(かわも)に飛び込んだ。

 水泡を引き連れた先の(にご)った幕の向こうを広がった少女の青髪の耀(かがや)きが照らしだし船底が見えた。

 しがみつくその(じい)さんが顔を上げ少女と眼が合うと一瞬苦笑いを浮かべ顔を引き締めた。直後、カローンは両腕で船底を突き放すと大きく(からだ)をうねらせ水中に踊りだした。

 その海蛇のような動きにアイリは顔を振り河守りの動きを追った。

 すぐにその(じい)さんが水の(おり)に見えなくなるとアイリは手足をばたつかせ船底の(かたわ)らに(ただよ)いながら、周囲を見まわした。

 いきなり背後から現れたカローンにぶつかられ少女は()()り身体振り向けて()()を叩きつけようとして河渡しの泳ぎ去った気泡を掻き乱した。

 くっ、水の中って動き辛い。

 力のかけるものがなく急に動こうとすると空回りしてしまったと少女は困惑した。

 カローンの泳ぎ去った方を凝視していたアイリはそう間をおかずしていきなり肩をぶつけられひっくり返りそうになり泡食った。

 そうかぁ────見てない方から来るんだ!


「ぶぶびぶぶぶぶぼ!」
(:フィフティーン・スイム!)


 アイリ・ライハラは泡を吐き出し(つぶや)くと右手の()()を左手に握り替え頭上の小舟の竜骨(キール)に手を伸ばした。





 2度ぶつけて小娘が翻弄されている(さま)にカローンは勝利を確信した。

 だが薄暗い水中で小娘の髪が青色に耀(かがや)いているのが()に落ちなかった。

 今まで髪が光放つものなどアポローンぐらいしかいなかった。

 あやつは金色(こんじき)耀(かがや)きを放っていた。

 だが小娘が天上人(てんじょうびと)とは到底思えない。なす術もないはずだ。

 足をつかみ川底まで引き落としてやるぞ。

 カローンは上下に(からだ)を揺すり大きく進み行くと朧気(おぼろげ)に泥水の先に(ほの)かな青い耀(かがや)きが見えてきて深さを修正した。


 さあ! 小娘、(おぼ)れるがいい!



 掻き分けた雲泥のベールが開いて見えたのは(おの)が小舟の舳先(へさき)を両手でつかみ水中で構える青髪の少女だった。





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登場人物紹介

 アイリ・ライハラ

珍しい群青の髪をした15歳の美少女剣士。竹を割ったようなストレートな性格で周囲を振り回し続ける。

 イルミ・ランタサル

16歳にして策士策謀の類い希なるノーブル国変化球王女。アイリにくるんくるんだの馬糞などと言われ続ける。

 ヘルカ・ホスティラ

20歳のリディリィ・リオガ王立騎士団第3位女騎士。騎士道まっしぐらの堅物。他の登場人物から脳筋とよく呼ばれる。

 イラ・ヤルヴァ

21歳の女暗殺者(アサシン)。頭のネジが1つ、2つ外れている以外は義理堅い女。父親はドの付く変態であんなことやそんな事ばかりされて育つ。

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