第9話 禁忌(きんき)

文字数 2,425文字


 眼を覚ますと見下ろすイラ・ヤルヴァの顔があった。

「目覚めが悪い」

 アイリ・ライハラが思わず口にすると女暗殺者(アサシン)顳顬(こめかみ)に青筋立てて握り(こふし)を見せつけた。

「嘘うそ──ここどこ?」

 少女がイラの膝枕(ひざまくら)から顔を上げ見回すと珍妙なものがあちこちに置かれている部屋だった。

「私の部屋です。御師匠が執事と武稽古(ぶげいこ)のあと気を失われたので介抱しようとお連れしました」

(たの)むからお前のコレクションに私を入れないで」

 言いながらアイリが近くの壁に飾られた武具を指さした。足ほどの長さの金属の棒の先に植物の棘とげのついた(ほう)──俗な名のひっつき虫という()に似ているがその大きさがパイナップルほどもあり金属でできている(かたまり)がついている殴られると血がピューピュー出そうなものだった。

「あれはライヤーパン。戦棍(せんこん)の一種ですがうちの猫を(しつけ)るのに使ってます」

「あんな物騒なもので猫を(しつけ)てるの!?」

 アイリは眼を丸くしてイラに確かめた。

「あれで相手しないと、うちの猫、やたらと爪を立てるわ、甘噛みするわで大変なんです」

 それだけではない。少女が見たことのない色んな武具が壁を飾っている。だが言えるのはとても女性の部屋とは思えない武骨さの目立つ飾り気のない雰囲気だった。

 ドアがノックされイラが返事すると開いて執事ユリウスが両手で銀のトレーを支え入り一礼した。だが少女は思わず両手で鼻を押さえた。

「アイリ様の気付け薬にとお持ちしました」

 何なの!? 出入り口からずっと離れているのに強烈な匂いが鼻の奥に刺さってくるとアイリは眼を(およ)がせた。

「ああ、気付けね」

 イラがなんともなく告げたのでアイリは思わず問い詰めた。

「くっせぇ! 何だぁ!?」

(にしん)漬けでございます」

 ユリウスが歩き寄って来てトレーをアイリの顔の前に下げると一枚の皿に載ったただの魚の塩漬けだった。だがアイリは頭がくらくらして顔を背けた。どうやったら魚がここまで臭くなるんだ!?

「元気が出ますのでぜひお口にと御用意いたしました」

 アイリは顔を(そむ)け片手で鼻を押さえ片手を執事に突き出し激しく振り断った。

「いらない! 気を失う!」

「そう(おっしゃ)らずに。一口されますと御納得頂ける絶品です」

 言いながらユリウスがアイリの(そむ)けた顔の方へトレーを手に回り込んでくる。

「うおおおっ! 負けた腹いせに!」

 アイリは叫びソファを飛び下り部屋の隅に逃げた。

「滅相もない。アイリ様、貴女(あなた)様の弱味──克服なさるべきです」

 ユリウスがトレーを手にアイリの方へ行くと、少女は(わめ)きながら部屋の別の隅に走り逃げた。

「そんなくっせぇもん、誰だって弱い! 克服なんてできるかぁ!」

 追いかける執事にアイリ・ライハラは逃げ続けた。脇からユリウスにイラが近づき少女は2人で(いたぶ)るのかと顔を強ばらせ見つめると、イラは皿から(にしん)の身をひとつまみし自分の口に放り込んだ。

「うん。イケますよ御師匠。ちょっぴり塩辛いですが」


「イラ、お前、俺に喰わせようとやせ我慢にもほどがあるぞ! 鼻がおかしいんじゃねぇのかぁ!」


 今度はユリウスとイラが左右からアイリに迫り、トレーの皿とイラの口の間を少女は眼を(およ)がせ間の正面へと突っ走りソファを駆け上がり後ろへ逃げながら執事に怒鳴った。

「だいたい俺の弱点ってなんだよ!? その腐った魚とどういう関係だぁ!?」

 すたすたと歩いて追って来ながら執事ユリウスが説明し始めた。

「アイリ殿は御自分のエネルギーが枯渇(こかつ)しているのも気づかずその様に激しく御動きなさる」

 アイリの逃げる足が遅くなった。

「強烈なる臭いを正しく嗅ぎ分ける事で、御自分の動くための体力を知る感性を(つちか)いなさるべきです」

 それは違うぞとばかりに少女はふたたび部屋の反対側へ逃げた。

「わからん! 体力うんぬん言われる前に鼻がもげる!」

 追いつかれていないのにアイリは逃げる先にも臭いが待ち構えており息がし(つら)くなりだした。

 どこに逃げても執事が(にしん)漬けを手にあまりにもうろうろし過ぎて部屋中に濃厚な臭いが立ち込めている事に気づく。

 いきなりアイリ・ライハラは立ち止まり振り向いた。

「わかったぞ! イルミ王女の差し金だな!」

 追いかけていたユリウスがソファの(きわ)でトレーを支え一度立ち止まった。

「いいえ! 元アマゾネスとしての御忠告なのです。その王女様を御守りなさるアイリ殿が御自分のマナ切れもわからずに(いくさ)場で倒れるなぞ一国の存亡に関わる失態」


 アイリ・ライハラは生ごみを一週間も炎天下で放置した様な強烈な臭いに()れだすと、逆に意識が集中し自分の中の何かが減っているのが感じる気がしだした。



 ────んな事などどうでも良いと、とんでもない事を思いついた。



 イルミ王女が献上品にと城下の魚屋で同じ(にしん)を買い求めていた。家数軒離れていても鼻の腐り落ちそうな燻製鰊(キッパー)とかいう魔除けの結界みたく強烈なやつだ。

 それを持って走り回ったらマナ切れを気にせずに千人の兵でも楽に圧倒できるぞ!

 だが自分自身がこの臭いにくらくらしてたら先にぶっ倒れる。


 ()れなければ!


 部屋の中央で足を開き腰を落とし少女は身構えると近づいてくるユリウスの両手に持つトレーを(にら)みつけた。



 皿が手の届きそうな近くに見えた瞬間、アイリ・ライハラは白眼をむいて後ろにひっくり返った。





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登場人物紹介

 アイリ・ライハラ

珍しい群青の髪をした15歳の美少女剣士。竹を割ったようなストレートな性格で周囲を振り回し続ける。

 イルミ・ランタサル

16歳にして策士策謀の類い希なるノーブル国変化球王女。アイリにくるんくるんだの馬糞などと言われ続ける。

 ヘルカ・ホスティラ

20歳のリディリィ・リオガ王立騎士団第3位女騎士。騎士道まっしぐらの堅物。他の登場人物から脳筋とよく呼ばれる。

 イラ・ヤルヴァ

21歳の女暗殺者(アサシン)。頭のネジが1つ、2つ外れている以外は義理堅い女。父親はドの付く変態であんなことやそんな事ばかりされて育つ。

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