第14話 靡(なび)く旗の下に
文字数 1,690文字
硝子越しに身形のよいおっさんから見つめられた。だがその男、顔を引き攣らせ、退こうとしたので────。
アイリ・ライハラは満面の笑みでニカッと愛嬌ぶちまけた。
そして微笑んだまま横の女に持ちかけた。
「ほっふぇびぃひほへをぶりふぁへ」
元異端審問官はこいつなに喋ってるんだと苦笑いし問い返した。
「わからん! 人間の言葉を喋れ」
言った途端に少女は役人落ちのわき腹に肘をどんと打ち込んで痛さに白目をむいたヘッレヴィに小声で煽った。
「お前ぇ、このおっさんに迫れ」
せ、迫れ!? 迫れとは戦士のようにか?
いいや、我は短剣しか持たぬ。よって戦士の真似事は御免つかまつる。
なら迫るとは──何だ?
ふとヘッレヴィ・キュトラは思いついたことに眼が点になった。
ま、ま、まさか女を武器にしろと!?
「ァィり、いぃ、色香を──ふ、振りまけというのか?」
屋根落ちが戸惑いもあらわにアイリへ問いただすと少女にぼそりと恐ろしいことを言われた。
「何だよ。嫌なら俺がやるぞ」
それはそれで後々困る! こいつのことだ。くどくどと弄るに決まっている。
ヘッレヴィ・キュトラは腹を括り窓の向こう側にいる中年男に微笑むと腰に片手をあて身体をくねらせ投げキッスをしてウインクした。
みなり立派な男が顔を強ばらせ後退さる。
ちょっと────まてぇ! 我の何がいかんのだぁ!?
窓硝子に詰め寄り枠をつかみ見上げた役人落ちは地が出たのを気づき慌てて引き攣った笑みを浮かべ、寄せた両の上腕で溢れんばかりの乳房を服の上から挟み上げ強調した。
その男、蔑んだ目で見つめさらに後退さった。
「ぶち殺すぞてめぇ!!!」
言い放ちしまったとヘッレヴィ・キュトラは顔をそのまま目線だけ向けると窓の横に両腕をちぐはぐに振り上げたアイリ・ライハラが眼を丸くし顎を落とし見つめていた。
「いや──これは────言葉の──あやで────」
ああぁ! このままでは、こいつといる間の向こう半年は弄られる!
人間、混乱すると底力を発揮したりする。時と場合によっては能力以上だったりする。
元異端審問官はいきなり後ろに右足を振り上げ窓枠をつかんだ腕の間に頭を落とし込んで踵を窓中央の召合せ框に叩きつけた。
砕け散った窓枠と硝子を浴びて町長が尻餅をついた。
ゆっくりと後ろに足を振り下ろす役人落ちを唖然とした顔で見つめる少女が呟いた。
「おまえ、蠍みたいだな」
雁字搦めに生きてきた半生だった。
親から褒め愛でられ、学問に、武術に励み、もっとも安定した職業を選んだ。そんな無難な安寧の道を歯牙にもかけない貴君に蠍のようだと心憎い喩えをありがとうございます。
ヘッレヴィ・キュトラは鼻で笑い撓わな胸を張り部屋へ腕を振り上げ部屋奥にいる言い寄ってきた化け物を指さし告げた。
「アイリ・ライハラ、あの穢らしい魔物を」
「潰しておしまいなさいな」
眼の前で青髪の少女が跳び上がり室内に踊り込む背姿を見つめながらヘッレヴィ・キュトラは思いだした。
まだ蔑んだ男を料理していなかった。
殴って、叩いて、蹴りつけて、顔に唾でも吐きかけてやろうか。
少女を追い群れとなり破れた窓から駆け込む野良猫らがカーペットのようだと役人落ちは思った。
そのパッチワークの敷物が途切れ、役人落ちは窓枠に左手かけ横に揃えた引き締まった両脚を振り上げ我馳せ参じると颯爽と飛び上がった。
「あぁ!? そんなぁ!」
窓枠の外壁に両足の爪先ががっつりと引っ掛かった。
元異端審問官は無様に室内に転がり落ちると、尻餅ついたみなり立派な町長のお叉に顔から突っ込み呻いた。両腕を立て赤面した顔を振り上げた彼女は男を怒鳴りつけた。
「き、貴殿は何をのうのうと、こ、こんなところに座り込んでいるのだぁ!? こ、これは我の得意技ではないぞ! ええい! 邪魔だぁ!!」
まくし立てながらヘッレヴィ・キュトラは、みなり立派な男の肩越しにふと見えたものに音が聞こえるほど血の気が引いた。
人の姿を偽る魔物を前に振り向いているアイリ・ライハラが口に片手添えてプププと笑っていた。
一年中────弄られるフラグが立ってしまった。
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