第6話 油断
文字数 1,726文字
連峰の山肌を縫うように続く山道を徒歩で帰る行程は、来るときに比べ魔女ミルヤミ・キルシの寄越す魔物や妨害もなくたるみきったダラダラとしたものになった。
それをアイリ・ライハラは咎めようともしなかった。
騎士達はただでさえ武具防具を身につけ負担があるのに傷ついた仲間に肩をかし歩くのは苦労し疲れきっていた。
甲冑を捨てれば歩くのに楽になるが、騎士のプライドがそれを許さないので誰1人そうしない。
魔女を討伐したわけでもなく、その首を刎ねるはずの小娘を捕縛し連れてきている。文句こそ言わなくなったが、騎士達が胸に一物あるのは明白でもアイリ・ライハラに面と向かって喧嘩を売れる度胸のあるものは1人もいなかった。言葉もなく黙々と歩く討伐隊は通夜の行列のようだった。
半日も歩くことなく、連なる山の峰に陽が隔てられ夜の気配がそこまできていた。
夜の山肌の道は片側が崖で危なく、完全に陽が暮れる前に野営地を決める必要がある。それは簡単に決めることができる。少し広い場所があれば十分だった。
アイリは皆が持つ携行食料を意識した。
馬をなくし、鞍にくくりつけていた荷物も失っている。各人が腰袋に入れているのは僅かな干し肉と乾パン、喉を少し潤せるほどの小さな革袋に入れた水ぐらいだった。
湧き水も見つからず喉の渇きと空腹を抱えたまま、ただ寝て疲れを僅かに癒やすだけの野営になる。
山道の広がった場所でアイリはふと気配に山道より城2つ高台の山肌を見上げた。
まだその高台は陽が当たって明るかった。
成獣の山羊が6、7頭いた。
あれを捕まえれば皆に満足な肉だけでなく乳を振る舞えるとアイリは思い即断し女大将ヒルダに小声をかけた。
「ヒルダ、あそこに山羊の群れがいるのが見えるか?」
「はいアイリ殿──あいつらを捕まえるので?」
「2人で前後から迫り雌を残し片っ端に斬ろう」
決まるとアイリは一行に静かに休むように言い渡した。騎士ら数人は高台にいる山羊に気づき、アイリとヒルダが山肌を登り捕まえに行くのだとすぐに理解した。
アイリとヒルダは甲冑を脱ぎ捨て身軽になると剣を手に二手に分かれ山肌を登り始めた。
傾斜はそう険しくなく、十分に注意すれば滑落の心配もなくどんどんと登って迫って行った。
山羊は山岳に住む俊敏な野生種で、岩間を人よりも素早く移動できる。雄は角があり人と遭遇すると狂暴に敵対もする。それをアイリは十分に承知していた。
音を殺し山肌に張りつくように登ってゆくアイリとヒルダは山羊の群れ前後に屋敷ほどの距離までに迫った。
アイリは拳大の石をつかみ山羊の群れのより高い斜面にそれを投げ上げた。石は斜面にぶつかり音を立て山羊らは皆高い斜面へと気を取られた。
アイリが山羊の後方から駆け出すとヒルダも立ち上がり前方から走り迫った。
混乱した山羊らは逃げるに失した。
次々に2人は雄の山羊を斬り倒し、雌2頭を生きたまま捕まえた。
その雌にそれぞれ雄の死骸を1頭ずつ積みヒルダが2頭、アイリが1頭背負い雌を引き連れ斜面を下った。
2人が皆の元に戻るとやっと騎士らの顔に笑顔が戻った。
アイリは皆にその山道が広がった場所で夜営を命じ数人で山羊を捌き火を焚いた。
アイリは縛られた魔女キルシを馬の鞍から下ろすと言い含めた。
「いいかキルシ、お前に食い物とパサンの乳を飲ませる。轡を解くが魔法を使う素振りを見せたら容赦なく首を刎ねるからそのつもりでいろ。わかったら頷うなづけ」
ミルヤミ・キルシが僅わずかに頷づいたのでアイリは轡だけを解き焼いた肉を食べさせてやり革袋に取った山羊パサンの乳を飲ませてやった。
食事が終わるとアイリはキルシに轡させ抱え皆みなから離れた場所へ連れて行き用足しをさせ皆の元に戻った。
腹が膨れる頃には陽は暮れ落ち星空になった。
とても疲れた大変な1日だった。騎士らは火を囲み言葉少なに1人、2人と眠り始めた。
アイリはしばらく焚き火の番をしていたが、山岳で獣に襲われる心配もなく歩哨も立てずに眠りについた。
油断は魔を引き寄せる。
裏切り者として命見逃し放った魔女キルシの孫────アレクサンテリ・パイトニサムがナイフ片手につきまといこのチャンスを待っていた。
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