第108話 3ヶ月と14日目 9月8日(火)
文字数 1,394文字
肉体労働の派遣バイトの有る今日は、往路も復路もまたバイト中さえも、脳の中は何を考えていても自由なのである。
従って今日は今後今年の年末迄の自分がどんな環境下に置かれるかを予測してみた。
このコロナ禍が年末迄に終息するとは思えないし、特に東京都内に住む私の身の上である。
未だに最大限の警戒態勢を崩さず、ゴートゥキャンペーンからも爪弾きにされたままの東京が、早々とこの身動きの取れない状況を脱するとは思えない。
恐らくは年末迄この状況が続く。
幸いなのは雇用調整助成金が年末迄延長になったことと、安倍総理が病気の為辞任したが、その後を十中八九菅官房長官が引き受けることである。
つまり年内は政治も経済も締めるでも緩めるでもなく、このままソロっと行くであろうと言うこと。
また与野党から来年の3月迄雇用調整助成金の期限を延長するよう、政府に提言されているらしい。
で、あるとすれば、来年3月迄はこの状況が続くと見ていい。
上手くするとその頃にワクチンが完成したら、このコロナ禍も終息するやも知れない。
ところで、私の文筆活動の方はどうか?
それは首都東京以上にこのままだろう。
考えるだに恐ろしい。
この才能の無さ。
生活力の無さ。
何とかせねばなるまい。
せめて貧乏からは抜け出したい。
と、これが4ヶ月前迄であれば、よし、競馬かパチンコで一山当ててみるか。
などと依存症の脳で狂ったことを言っていた筈だが、今の私はそんなことをしたら余計貧乏になる。
だって競馬やパチンコをしたら、絶対に負けるから、と、そんな風にかなり成長したのだ。
しかしそんな私でも、貧乏になってからも競馬を続けていたのには訳がある。
ノーベル文学賞作家のアーネスト・ヘミングウェイが貧乏に苦しみながらも、パリのオートウィユ競馬場に通っていたことや、直木賞作家で直木賞選考委員でもあった浅田次郎も競馬を愛し、サラブレッドを所有していたことなど。
私の競馬依存症はそれ等私の愛すべき作家達が、競馬を愛したことに起因する。
しかし今の私は違う。
たとえば悪魔がこう囁く。
「アーネスト・ヘミングウェイと浅田次郎の二人の才能をやるから、もう一度競馬に手を出してみないかい」、と。
そして私は高らかに悪魔に宣言する。
「才能は欲しいが、もう二度と地獄は見たくない。J RAに地獄を見せられた今、二度と昔には戻らない。そして競馬依存症自主治療によって得ることの出来た、たとえ細やかであっても幸せな日々を二度と失いなくない」、と。
今になって思えば、ヘミングウェイや浅田次郎が競馬を愛していたことを、競馬依存症である自身を正当化する為の言い訳にしていたように思う。
そうなのである。
競馬をしていようがしていまいが、自身の文才には拘わりないのだ。
競馬をしたところで、私はヘミングウェイにも浅田次郎にもなれないのである。
私は私だ。
生きていく為だけに小説を書けばいい。
従って今日の無事はヘミングウェイと浅田次郎に感謝か、否、たとえ自身に才能が無くとも胸を張って自分は自分と言える自身に感謝だ。
そして明日の無事は、明日こそ才能のある自分に確実だと言わせたいものだ。
そうでなくとも明日はせめていつもより、一行だけでも多く小説を書くことにしよう。
従って今日は今後今年の年末迄の自分がどんな環境下に置かれるかを予測してみた。
このコロナ禍が年末迄に終息するとは思えないし、特に東京都内に住む私の身の上である。
未だに最大限の警戒態勢を崩さず、ゴートゥキャンペーンからも爪弾きにされたままの東京が、早々とこの身動きの取れない状況を脱するとは思えない。
恐らくは年末迄この状況が続く。
幸いなのは雇用調整助成金が年末迄延長になったことと、安倍総理が病気の為辞任したが、その後を十中八九菅官房長官が引き受けることである。
つまり年内は政治も経済も締めるでも緩めるでもなく、このままソロっと行くであろうと言うこと。
また与野党から来年の3月迄雇用調整助成金の期限を延長するよう、政府に提言されているらしい。
で、あるとすれば、来年3月迄はこの状況が続くと見ていい。
上手くするとその頃にワクチンが完成したら、このコロナ禍も終息するやも知れない。
ところで、私の文筆活動の方はどうか?
それは首都東京以上にこのままだろう。
考えるだに恐ろしい。
この才能の無さ。
生活力の無さ。
何とかせねばなるまい。
せめて貧乏からは抜け出したい。
と、これが4ヶ月前迄であれば、よし、競馬かパチンコで一山当ててみるか。
などと依存症の脳で狂ったことを言っていた筈だが、今の私はそんなことをしたら余計貧乏になる。
だって競馬やパチンコをしたら、絶対に負けるから、と、そんな風にかなり成長したのだ。
しかしそんな私でも、貧乏になってからも競馬を続けていたのには訳がある。
ノーベル文学賞作家のアーネスト・ヘミングウェイが貧乏に苦しみながらも、パリのオートウィユ競馬場に通っていたことや、直木賞作家で直木賞選考委員でもあった浅田次郎も競馬を愛し、サラブレッドを所有していたことなど。
私の競馬依存症はそれ等私の愛すべき作家達が、競馬を愛したことに起因する。
しかし今の私は違う。
たとえば悪魔がこう囁く。
「アーネスト・ヘミングウェイと浅田次郎の二人の才能をやるから、もう一度競馬に手を出してみないかい」、と。
そして私は高らかに悪魔に宣言する。
「才能は欲しいが、もう二度と地獄は見たくない。J RAに地獄を見せられた今、二度と昔には戻らない。そして競馬依存症自主治療によって得ることの出来た、たとえ細やかであっても幸せな日々を二度と失いなくない」、と。
今になって思えば、ヘミングウェイや浅田次郎が競馬を愛していたことを、競馬依存症である自身を正当化する為の言い訳にしていたように思う。
そうなのである。
競馬をしていようがしていまいが、自身の文才には拘わりないのだ。
競馬をしたところで、私はヘミングウェイにも浅田次郎にもなれないのである。
私は私だ。
生きていく為だけに小説を書けばいい。
従って今日の無事はヘミングウェイと浅田次郎に感謝か、否、たとえ自身に才能が無くとも胸を張って自分は自分と言える自身に感謝だ。
そして明日の無事は、明日こそ才能のある自分に確実だと言わせたいものだ。
そうでなくとも明日はせめていつもより、一行だけでも多く小説を書くことにしよう。