第112話 3ヶ月と18日目 9月12日(土)
文字数 1,712文字
人には幸せを得たい、或いは人よりも自分の方が幸せでありたい、と、言う気持ちが生来備わっており、それを射幸心と言うらしい。
今日は依存症治療の為に、丸1日射幸心と恐怖心について考える予定なのだ。
何故なら今日は肉体労働の派遣バイトかあり、脳内は自由だし動かしていないと脳まで筋肉になるからである。
さて依存症だった当時の私に取っては、「幸せになりたい=競馬で勝つこと」だった訳であり、今の私には「幸せになりたい=競馬を止 めること」に180度変わってしまった。
つまり私もそうだが射幸心をそそる「何か」は、時によって、或いは人によって、まったく違うものになり得るのである。
但しその射幸心をそそる「何か」が、「何」であろうと、それを抑制するのは「恐怖心」であることに違いはない。
無論射幸心を抑える為には個々のそそる「何か」を特定し、それに見合う恐怖心でないと抑制出来ない。
例えはの理論でいけば競馬やパチンコの場合、「負けて破産し人生が駄目になる」、と、恐怖心を植え付けることによって、それ等ギャンブルは止めれる筈である。
しかしそう簡単にはいかない。
だからこそ競馬やパチンコの依存症はやっかいなのだ。
考えてみれば「競馬で勝ちたい」の恐怖心が
「負けて破産し人生が駄目になる」だったとしても、「競馬を止めたい」の恐怖心は「もし競馬をしていれぱ勝っていたかも知れない」、と、言うことになり、仮に競馬を止めたいと思っても、結果恐怖心が勝てば再び競馬に手を染めることになるのだ。
そのことに気付かなければ競馬は勿論、どんなギャンブルでも同様に無限ループに落ち込むことになる。
やはり競馬依存症は脳の病気であり、治療は科学的に行うものでなければならない。
従って依存症患者である本人を責めたり、或いは罵ったりしてはならない。
それは家族が依存症患者の場合尚更だ。
患者を責めたところで治らないのである。
従って依存症患者の家族がせねばならないことは、先ず患者本人に自身が依存症で脳の病気であると気付かせることが最も肝要で、責めたり、或いは逆に「家族の愛で一緒に治そう」などと考えるのは愚の骨頂なのだ。
飽くまでも脳科学的に、そして何よりも論理的に治療しなければならない。
私が治療当初完全に競馬を止めず少額競馬をしていたのは、第一に止めたことによって生じるストレスや反動を回避したかったこと、次に競馬と言うギャンブルの無限ループから抜け出す為、つまりは止めようと思っていることを自身に気付かせずに競馬から距離を置くこと、言うならば自身を欺く為であった。
今でこそ宝くじ治療法や恐怖心活用治療法など、様々な対策を編み出したが当初はここまで来れるとは思てもいなかった。
それもこれも総ては脳科学的に物を考えたお蔭だと自負している。
しかし射幸心で思い出したのだが、今自分の射幸心は何処を向いているかと言うと、ノベルデイズに小説を掲載している三人の女性作者に対してである。
一人は詩を、一人は恋愛小説を、一人はヨーロッパ絡みの歴史長編を、書いている。
それぞれ凄い才能だと思うし、自分には絶対書けない作品なのでその才能が欲しいとは思うが、どうしようもないので、読後唯々落ち込むだけだ。
しかし、ちょっと待てよ。
もしその三人がプロとしてデビュー出来れば、自分には才能かなくとも才能を見抜く才能がある、と、言うことになる。
これだ。
早速カウンセラーの先生に報告するのだ。
競馬以外に射幸心を満たす何かを探せと言われていたのである。
宝くじも良いがそれはそれとして、もっと違う何かを探せとカウンセラーの先生に言われていたのだ。
うん、そうしよう。
なので今日の無事は派遣バイトではなく、その三人がそれぞれプロデビューすることに感謝だし、明日の無事もそのことで確実なのだ。
ん、待てよ。
その三人がプロデビューしたとして、自分はどうなる。
ずっとこのままじゃあなあ・・・・・。
良いことを思い付いた。
将来その三人に頼むことにしよう。
何とかして下さい、と。
今日は依存症治療の為に、丸1日射幸心と恐怖心について考える予定なのだ。
何故なら今日は肉体労働の派遣バイトかあり、脳内は自由だし動かしていないと脳まで筋肉になるからである。
さて依存症だった当時の私に取っては、「幸せになりたい=競馬で勝つこと」だった訳であり、今の私には「幸せになりたい=競馬を止 めること」に180度変わってしまった。
つまり私もそうだが射幸心をそそる「何か」は、時によって、或いは人によって、まったく違うものになり得るのである。
但しその射幸心をそそる「何か」が、「何」であろうと、それを抑制するのは「恐怖心」であることに違いはない。
無論射幸心を抑える為には個々のそそる「何か」を特定し、それに見合う恐怖心でないと抑制出来ない。
例えはの理論でいけば競馬やパチンコの場合、「負けて破産し人生が駄目になる」、と、恐怖心を植え付けることによって、それ等ギャンブルは止めれる筈である。
しかしそう簡単にはいかない。
だからこそ競馬やパチンコの依存症はやっかいなのだ。
考えてみれば「競馬で勝ちたい」の恐怖心が
「負けて破産し人生が駄目になる」だったとしても、「競馬を止めたい」の恐怖心は「もし競馬をしていれぱ勝っていたかも知れない」、と、言うことになり、仮に競馬を止めたいと思っても、結果恐怖心が勝てば再び競馬に手を染めることになるのだ。
そのことに気付かなければ競馬は勿論、どんなギャンブルでも同様に無限ループに落ち込むことになる。
やはり競馬依存症は脳の病気であり、治療は科学的に行うものでなければならない。
従って依存症患者である本人を責めたり、或いは罵ったりしてはならない。
それは家族が依存症患者の場合尚更だ。
患者を責めたところで治らないのである。
従って依存症患者の家族がせねばならないことは、先ず患者本人に自身が依存症で脳の病気であると気付かせることが最も肝要で、責めたり、或いは逆に「家族の愛で一緒に治そう」などと考えるのは愚の骨頂なのだ。
飽くまでも脳科学的に、そして何よりも論理的に治療しなければならない。
私が治療当初完全に競馬を止めず少額競馬をしていたのは、第一に止めたことによって生じるストレスや反動を回避したかったこと、次に競馬と言うギャンブルの無限ループから抜け出す為、つまりは止めようと思っていることを自身に気付かせずに競馬から距離を置くこと、言うならば自身を欺く為であった。
今でこそ宝くじ治療法や恐怖心活用治療法など、様々な対策を編み出したが当初はここまで来れるとは思てもいなかった。
それもこれも総ては脳科学的に物を考えたお蔭だと自負している。
しかし射幸心で思い出したのだが、今自分の射幸心は何処を向いているかと言うと、ノベルデイズに小説を掲載している三人の女性作者に対してである。
一人は詩を、一人は恋愛小説を、一人はヨーロッパ絡みの歴史長編を、書いている。
それぞれ凄い才能だと思うし、自分には絶対書けない作品なのでその才能が欲しいとは思うが、どうしようもないので、読後唯々落ち込むだけだ。
しかし、ちょっと待てよ。
もしその三人がプロとしてデビュー出来れば、自分には才能かなくとも才能を見抜く才能がある、と、言うことになる。
これだ。
早速カウンセラーの先生に報告するのだ。
競馬以外に射幸心を満たす何かを探せと言われていたのである。
宝くじも良いがそれはそれとして、もっと違う何かを探せとカウンセラーの先生に言われていたのだ。
うん、そうしよう。
なので今日の無事は派遣バイトではなく、その三人がそれぞれプロデビューすることに感謝だし、明日の無事もそのことで確実なのだ。
ん、待てよ。
その三人がプロデビューしたとして、自分はどうなる。
ずっとこのままじゃあなあ・・・・・。
良いことを思い付いた。
将来その三人に頼むことにしよう。
何とかして下さい、と。