第64話 2ヶ月目の初日 7月26日(日)
文字数 707文字
新たなる、そして大いなる変化があった。
今日滅茶苦茶に馬券を買いたくなったのだが、それと同時に馬券を買うのが怖くて余計なことをして馬券を買うのを一切止めたのだ。
これを分析してみると今までの馬券を買ったときのドーパミンが溢れ出るほど興奮した記憶が薄れ、馬券を買うと負けると言う認識が欲望を上回ったのではないか、と、思うのだ。
つまり無理矢理ではあるが馬券を買うことを暫く止めたことにより、競馬に常習的に依存していた脳が書き換わりギャンブルへの欲望が薄れたのではないか。
そのように思うのだが、如何か。
今日は金を賭けてレースを見る欲望より、負けて金が失くなる恐怖の方が確かに影響力があったのである。
これは凄い変化だ。
とは言えパチンコをして競馬の欲望を反らせていた経緯がある。
次はパチンコを完全に止めないと、自分の場合何らかの因果関係がある競馬の自主治療にも拘わってくる。
そこで実験的に昨日少し勝ったのでレンタルDVD屋に行く際カードや現金を置いて、3000円とレンタル代の小銭だけ持って行ってパチンコをした。
結果今日は負けたがその後まったく勝ちたいとか悔しいとかはなく、明日からは止めれそうな気がする。
まあ、しかし楽観出来る一番の理由は、今日も競馬はまったくしなかったと言う事実だ。
その上パチンコも止めれたら言うことはないのだが、しかし暫くはリハビリも兼ねて月一回か二回カードも現金も家に置いて、3000円だけ持って行くことにしたらどうかと思う。
詳細は今後一両日中に詰めることにする。
とにかく今日は競馬はまったくしなかった。
今日の無事に感謝、で、良いと思う。
今日滅茶苦茶に馬券を買いたくなったのだが、それと同時に馬券を買うのが怖くて余計なことをして馬券を買うのを一切止めたのだ。
これを分析してみると今までの馬券を買ったときのドーパミンが溢れ出るほど興奮した記憶が薄れ、馬券を買うと負けると言う認識が欲望を上回ったのではないか、と、思うのだ。
つまり無理矢理ではあるが馬券を買うことを暫く止めたことにより、競馬に常習的に依存していた脳が書き換わりギャンブルへの欲望が薄れたのではないか。
そのように思うのだが、如何か。
今日は金を賭けてレースを見る欲望より、負けて金が失くなる恐怖の方が確かに影響力があったのである。
これは凄い変化だ。
とは言えパチンコをして競馬の欲望を反らせていた経緯がある。
次はパチンコを完全に止めないと、自分の場合何らかの因果関係がある競馬の自主治療にも拘わってくる。
そこで実験的に昨日少し勝ったのでレンタルDVD屋に行く際カードや現金を置いて、3000円とレンタル代の小銭だけ持って行ってパチンコをした。
結果今日は負けたがその後まったく勝ちたいとか悔しいとかはなく、明日からは止めれそうな気がする。
まあ、しかし楽観出来る一番の理由は、今日も競馬はまったくしなかったと言う事実だ。
その上パチンコも止めれたら言うことはないのだが、しかし暫くはリハビリも兼ねて月一回か二回カードも現金も家に置いて、3000円だけ持って行くことにしたらどうかと思う。
詳細は今後一両日中に詰めることにする。
とにかく今日は競馬はまったくしなかった。
今日の無事に感謝、で、良いと思う。