第100話 3ヶ月と6日目 8月31日(月)

文字数 1,411文字

 ぶっ壊れてはいるが今日は何故か見れてしまったと言う、ひねくれ者の私のテレビである。
 テレビを見ながら思うことがあり、どうしても書いて発表したいことがあったので、忘れないようメモ帳に書き置き部屋を出た。
 そうして出る前にテレビの電源をオフにした際、またぞろ画像は乱れていたのであった。
 テレビはやはり完治してはいないのだ。
 これでは競馬依存症と同じである。
 などと半ば諦め、半ば呆れながら部屋を出て派遣バイトに向かう道すがら、集団下校している小学生の子供達に出くわした。
 ふと前を見ると背後に人が居ることなどお構いなしでスカートを捲り上げ、お尻を掻いている恐らく低学年の女の子の姿があった。
 暑くてその辺りがむず痒かったのだろうが、私は思わずクスっと小さく噴き出した。
 勘違いしないで欲しいのだが、私は自ら望んでそんな場面を見たかった訳でもないし、その女の子のスカートの中を見た訳でもない。
 その時の私は結託の無い、如何にも子供らしい動作に思わずクスっと笑ってしまったのだから、その辺りの心中を察して欲しい。
 妙な趣味の大人が多い昨今、誤解を招かないよう念の為お断りしておく。
 さてその直後私はその集団下校している小学生の子供達を歩いて追い越しながら、ふと、思ったのである。
 さっきの女の子が成長し公の場でスカートを捲り上げてお尻を掻けなくなる迄に、私はプロの作家になれるのだろうか、と、或いは競馬やパチンコの依存症から抜け出せているのだろうか、と。
 果たしてこれからの私の人生を左右するその二つの出来事は、確率から言うと宝くじで7億円当てるのと比較してどうだろうか、と。
 はっきり言って後者の競馬やパチンコの依存症から抜け出せる確率は、3000円買ってその1割の300円の当選金が当たるのと同じ確率、即ち100%であるし、またそうでないといけない。
 しかし前者のプロの作家になれる確率は、宝くじで7億円当てる確率より低い気がする。
 これは偽らざる私の本心でもある。
 だとすれば宝くじによる競馬依存症治療は治療しながら7億当たるかも知れない、と、思うのはまったく間違っていないし、夢が叶う可能性は少なからず有ると言うことだ。
 今日の派遣バイトは珍しく事務仕事で多少なりと頭は使うので、仕事中余計なことは考えられなかったのだが、仕事を終えバイト先を出た瞬間に宝くじの広告が見えた。
 駅前だったこともあるがこれはやはり宝くじ治療をすべしと言う、神のお告げと取れる。 
 今日の無事は派遣バイトとやはり宝くじのお蔭なのだ。
 それと今日派遣バイトへの往路ですれ違ったあの女の子のお蔭でもある。
 ん、しかし、待てよ。
 何か忘れてるぞ。
 そうだった。
 私がプロの作家になる確率が、宝くじで7億円当てるより低いと言う件だ。
 それではいかん。
 どんなに低い可能性でもプロの作家になることを、絶対に諦めてはいけないのである。
 明日の無事はプロの作家になるべく努力するから確実なのだ、と、言うことにする。
 ん、しかし待てよ。
 私がプロの作家になれると言うことは、確率から言ってそれより先に私は7億円当っていることになる。
 そうするとプロの作家になる必要もない。
 などと、阿保な事を考えているうちに明日も競馬の開催時間が終わり、パチンコ屋が閉まることだろう。
 めでたし、めでたし。
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