第119話 3ヶ月と25日目 9月19日(土)

文字数 1,738文字

 今日久しぶりにパチンコや競馬をやりたいとは思わなかったのだが、これは一体どう言うことなのだろうか。
 お蔭でスクラッチくじにも宝くじにも手を出さずに済んだ。
 出費と言えば食費とレンタルDVD代くらいで500円程度だった。
 毎日これだといいのだが、そうもいかないのは何故か。
 私の場合やはり肉体的か或いは精神的なストレスを感じた後に、競馬やパチンコをしたいと言う衝動に駆られる。
 殊に精神的ストレスを感じた後にそう言った衝動に駆られることが多い。
 してみると依存症発症の原因がストレスなど心的要因に有るのは明らかである。
 他の依存症もそうであろう。
 アルコール依存症に薬物依存症、或いは買い物依存症に拒食症や過食症。
 総ては心的要因から発症する。
 今日競馬やパチンコを欲することが無かったのは、偏に私がストレスを感じていなかったからだと思う。
 明日こそ肉体労働労働の派遣バイトを入れているが、今月は先月ほど出費が多くなかったので派遣バイトをここ暫くしていなかったのだ。
 それ故にストレスも少ない。
 また脳の病気である依存症は現在の医療技術では脳をリセット出来ないので、その依存症自体を完治することが出来なくても、射幸心を呼び覚ます対象を他の物に移すことは可能だ。
 自分の場合は競馬やパチンコから宝くじへ、射幸心の対象が移行したのが幸いしている。
 これは拒食症や過食症についても言える。
 例えば拒食症の人の元来の射幸心の対象は「痩せたい」であり、対して恐怖心は「食べれば太る」、と、なり、食べなくなってしまう。
 ところが拒食症になり痩せ過ぎると、射幸心の対象が「普通の体形に戻りたい」に移行し、「恐怖心」も「食べなければ普通の体形に戻れず痩せギスのままだ」、となってしまう。
 その為射幸心と恐怖心がせめぎ合い、拒食症から過食症へ、次いで過食症から拒食症へ、と、拒食症と過食症の無限ループを繰り返すことも稀ではない。
 そこから脱するには「食べる・食べない」と言う行為への興味を他に逸らせる必要がある。
 例えばそれが「絵画」や「映画」、或いは私のように「小説」などに興味を逸らせれば最良の結果と言うことになるのだが、それは残念ながらそうとはならない。
 何故なら脳が依存する主体であるアルコールや薬物或いはギャンブルなどと、前述の芸術とではドーパミン放出量の点に於いて決定的に違いがあるからだ。
 つまり快楽や興奮を欲する依存症の主体と、癒やし或いは充足を齎す芸術とは対極に有るも
のであって、互いに相殺対象にはならないと言うことである。
 では過食症や拒食症に苦しむ人はどうすれば良いのか、それはかなり難しいことかも知れないのだが、「食べる・食べない」、或いはその「量」、についてまったく関心を持たないことである。
 しかし今日スーパーに買い出しに行って、それが相当に難しいことなのが分かった。
 私の良く行くスーパーは入口に野菜や果物が置いてあって出口付近に惣菜コーナーがある。
 何処のスーパーでも同じようなものであろうが、今日私が買い物に出向いた際に入口付近で追い越して行ったポッチャリ女性二人組がいて、私が買い物も精算も終えてスーパーを後にするとき、何と飽きもせずに入口付近で野菜や果物を物色しているではないか。
 恐らく彼女達には、「食べる・食べない」、或いはその「量」、について関心を持つことを止めるなど不可能なことのように思う。
 うーん。
 やはり依存症や拒食症或いは過食症などの治療は、困難を極めること間違いなしである。
 とか、考えているうちに、今日も競馬の開催時間もパチンコ屋の閉店時間も過ぎた。
 と、言うことは、今日の競馬やパチンコの無事はポッチャリふたり組に感謝と言うことになるだろう。
 しかし明日はスタイル抜群のふたり組で確実といきたいところだ。
 と、言う落ちで終わるように思われたことだろうが、そうではなく私の場合明日も可愛いポッチャリに会いたいのだ。
 何故なら私はガリガリよりも、少しポッチャリ目の方がタイプだからである。
 やはり人の心は読み切れないものなのだ。
 と、これが今日の落ちである。

 
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