第52話 凱旋

文字数 1,615文字

 十四日前、風雨の夜に、
馬廻り衆と年嵩の小姓達を従え出陣した信長は、
朝倉義景を自害に追い込み、越前を平定し、
二十六日、虎御前山の城に凱旋した。

 信長が出征している間、仙千代達、若輩の小姓は、
武具の手入れや兵糧の管理、演習をして日々を過ごした。
 この時は、岐阜城の小姓のみならず、
諸将の年若い小姓達も一緒で、
このような時にしか見ない顔触れの者と働くことは、
今後に備え、有為なことで、仙千代は大いに刺激を受けた。

 武具甲冑の手入れ、修理となると、
日ごろ、口の重い清三郎が人が変わったように饒舌になり、
皆に前のめりで教えてまわる姿も面白かった。
 清三郎が仙千代を相変わらず、
「仙様」と呼んで懐いてくることには内心、閉口なのだが、
仙千代の信忠への想いを知らない清三郎を恨むことは筋違いで、
かといって殊更親しくする気にもなれず、
仙千代は生半可な態度で清三郎と接した。
 三郎も今では信忠の褥に召し寄せられることがあるようで、
仙千代は、

 いちいち妬いていても仕方ない、
それこそこちらの身がもたぬ……

 と思いつつ、三郎が羨ましくて仕方なかった。

 仙千代が発作のように嫉妬の炎で身を焦がすのは、
信忠が三郎や清三郎など、
肌を合わせている小姓との間に知ってか知らずか、
ただならぬ親密さを醸す時で、そんな瞬間を目の当たりにすると、
目を逸らしても脳裏にその場面が焼き付いて、
どうにも逃れられず、割れるほど奥歯を噛み締めていたり、
肩で息をしていたりする。
 おそらく、そのような時の自分は目が座り、
一点を見詰め、もしかしたら醜いのだろうとも思う。
 しかし、どうにかできるものなら、
とっくにどうにかしている。
 どうにもならないことだから、苦しみが続くのだった。

 長年の宿敵、朝倉義景を討ち取り、
当然のこと、信長は非常に機嫌が良かった。
 虎御前山の城へ着陣すると、
久々の入浴で、たまりにたまった疲労を解し、
食事を軽く済ませると、
まだ陽が沈みきらないうちに寝所へ入った。

 初秋を思わせる風が山肌を抜け、部屋に涼やかさを呼ぶ。

 仙千代と竹丸で信長の身体を手分けして揉んだ。
こっているなどというものは通り越し、
全身が疲労困憊という名の鉄鎧で固まりに固まっていた。
 
 彦七郎、彦八郎から聞く話では、
雨風の強い暗闇を進軍し、不眠不休で山を越え、
屈強な馬廻りや若手の小姓ですら音を上げそうになる中を、
信長は先頭切って攻め上がっていったということで、

 「やはり殿は流石だ。殿の為なら一命を差し出す覚悟、
間違いないと意を強くした」

 「何人(なんびと)も殿には勝てぬ。鋼鉄の御意志は日の本一じゃ」

 と、信長を褒めそやし、いっそう心酔したようだった。

 その二人も、朝倉家滅亡の際には、
他の小姓達と日に百、二百という武者や兵の首を討ち、
その時だけは、はじめ、悪寒や嘔吐を催し、
やがて哀れに思う心が涙を呼んで、視界が曇って困ったと話した。

 「好きで越前に生を受けたわけでなし、偶々(たまたま)
まさに天の采配でそこに生まれ育ったというだけ。
まだ子供ではないかという兵も居ってな。
何が為、生まれてきたかと思うと、ただ、せつなく……」

 「明日は我が身と思うと、余計にな……」

 この話をする時だけは兄弟の目に涙があった。

 「しかし、やらなければ、やられる。
我が家、我が一族、我が尾張美濃、
ひとつの綻びですべて灰燼に帰す。それこそ戦国の世じゃ」

 彦七郎の言葉に彦八郎も仙千代も頷く他はなかった。

 百年続く戦国の世を、この殿が終わらせてくださる……
この殿が、きっと……

 湯上りに、汗もひかぬまま、褥に横たわると、
たちまち眠りに就いた信長を、
仙千代は拝むような思いで見た。

 この固まり切った御身体……
いったいどれほど疲れていらっしゃるのか……

 仙千代は心をこめて信長の身を解した。

 やがて、すっかり寝付いた信長から、
仙千代も竹丸も手指を離した。

 竹丸が、

 「ここは儂が見ておる」

 と言ったので、仙千代は部屋を下がった。

 




 




 
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