第145話 小木江城 恋慕(2)

文字数 636文字

 「もういいではないか。その話は。
細かなことは忘れた。
小さなことに拘って(こだわって)おっては他が疎か(おろそか)になる。
万見は殿の御傍に仕え、衷心より御奉仕申し上げ、
立身出世を果たすのだ」

 二人の仲が修復される期待に満ちていた仙千代の瞳は、
陰りを帯びて潤みを増し、打ち沈んだ。

 仙千代から漂う絶望は澄んでいた。
視線が外されたことを良いことに、
信忠は眉根をひそめ、歯を食いしばって続けた。

 「その為に今は身を休め、滋養のあるものをしっかり食し、
殿の御役に立てるよう、一日も早い快癒を目指せ。
大いに期待されている感謝を忘れず、
文事に武芸に精進し、側近として力を蓄えよ」

 声が震えないようにすることで精いっぱいだった。

 またしても残酷な言い様をしてしまったことは知っている。
「細かなこと」「忘れた」「小さなことに拘る」等など、
濡れ衣を着せ、足蹴にした側が口にすべきことではない。
それを知っていて、信忠は告げた。

 仙千代は小さく頷き、答えた。

 「励ましの御言葉、身に沁みましてございます。
総大将様の御厚誼を無にすることがないよう努め、
御恩に報いたく存じます……」

 放心しているように映るのは、
もしかすれば蟠り(わだかまり)が解けるのではないかという、
仙千代の願いの強さによるものだと信忠は思った。

 夏は過ぎ、秋が始まっていた。
燃え盛っていた赤い百日紅(さるすべり)の花は減り、
葉の色が変わりつつあった。

 何も語らず、互いに目を遣ることもせず、
俯き、ただ二人、虚ろに座していた。

 やがて、大きな足音がして、信長が戻った。

 



 





 






 


 


 

 

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