第119話 小木江城 迷い(1)

文字数 759文字

 信長は楽し気に声をたて、笑った。

 「仙があそこまで、意地が悪いとは」

 下間依旦(しもつまらいたん)の使者に、
命じられもせぬのに竹水筒を持たせた件だと仙千代は察した。
 好んでしたことではないが、戦には心理戦の側面もある。
信忠が見抜いたとおり、
当初から内通の誓いを守る気など皆無でありながら、
長島城へ大人数で逃げ込んで、
火を見るよりも明らかに一段と厳しい飢餓状況に陥ったのは、
他でもない、一揆軍の選択であって、
今になり渇いた、飢えたは話が通らぬことだった。

 確かに気の毒なことではある……
中には赤子も居るだろう、孕んだ女も居るだろう、
年寄り、子供も数多大勢、居るだろう……
なれど、飢餓に追い込めば、若殿が仰せのように、
城ひとつ落とす手間が省ける、それもまた事実……
上に立つ者が弱者を盾にするはけしからん……

 一個の生身の人として、仙千代に迷いがないわけではない。
しかし、下間頼旦のやり様を潔いとは思われず、
あくまで織田家の臣下としての振舞だった。

 とはいえ、最後は殲滅戦、根切……
進むも引くも地獄……

 仙千代の眉根は自然、ひそめられた。

 「お声が聴こえたのです、土産に水を持たせてやれと」

 確かに意地が悪かった。
瀕死の小動物に尚も打撃を加えるかのような、
弱い者いじめと言えないわけではない。
 相手は敵方とはいえ、合戦の場でもなし、
自分は安全地帯に居て、ただ嫌味なことをした。

 自分への腹いせで、
仙千代は信長に八つ当たりしたのかもしれなかった。

 「ほう、声が?
いや、儂は左様な意地の悪いことは言いもせぬし、
思い付きもせぬ」

 仙千代の心情はそっちのけで、
その表情は愉快でたまらないと言っている。

 「仙は何かにつけ時に、ちと激しいが、
元来、穏やかな質のはず。それがあのような真似を」

 「露わになったのです、本性が」

 仙千代は信長から顔を背けた。




 
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