第121話 血潮

文字数 1,363文字

 仙千代はあてもなく歩を進めていた。

 繰り返し、同じ懊悩に苛まれ、
半端な自分を責めては、信長の言葉を噛み締め直す。

 後悔はしない……
あの御言葉は殿が苦しみ抜いた末、得たものだ……
悔やむようなことはするなということか……

 やがて、天から冷たいものが落ちてきて、

 ああ、やはり雨になった……

 と空を仰ぐと、
いつしか辺り一帯、黒い雲に覆われていた。

 水滴が木々の葉に当たり、ぱらぱらと音がする。
と、思っていたら、雨音が一気に強まり、
ばたばたと大粒が頬に当たって痛い位になった。

 水に打たれた葉が裏返り、枝も揺れる。

 ここは城郭内の西北で、古井戸があった。
浅井戸の為、水質が良くないということで、
ずっと使われていない。

 井戸は小屋掛けになっていた。

 あそこで雨宿りしよう!……

 脇に指した小太刀を濡らすわけにはいかない。
直ぐに手拭いで柄を覆って、雨から刀を守った。

 屋根の下に入った時、
ふっと何やら動く影があったような気がした。

 振り向いても、視界に異常はなかった。

 土砂降りになり、あらゆる音が雨だけになった。

 何とも曰く言い難い気配に振り向いた。

 そこには、
ぼろ布を纏ったようにしか見えない野良着姿の男児が居て、
年頃は仙千代と似通っていた。

 目と目が合った。
瞳には驚愕と同時、紛れもない憎悪があった。

 一揆の奴!……

 直ちに自答した。

 考える間もなく、瞬間的に小太刀を鞘から抜いた。
相手は太刀を振りかざしてきた。

 雨音が大き過ぎ、何を言っているか分からない。
叫びと共に斬り付けられて、刃が重なった。

 太刀と小太刀ではこちらに分が無かった。
一瞬の隙を突くのではなく、
一瞬の隙を突かれないようにしつつ、
僥倖の瞬間を逃さないようにするしかない。
 同じ力で押し合って、静止している。
ひどく長い時間に感じられたが、おそらく数秒だった。
 やがて焦れた相手が動き、脚を交差させた時、強く蹴り、
上体が揺れた隙に首元を刺突した。

 急所は外れたが傷を負った相手はたじろいで、
後ずさりした。
 仙千代はそこを逃さず、足を払い、
一揆の者が転倒したと同時に胸を踏み付けた。

 転んだ拍子に長い抜身はその手から離れ、地に落ちていた。

 雷鳴が響く。

 「何をしていた!」

 強雨にも(いかづち)にも負けぬ音声(おんじょう)を放った。

 答えを期待したわけではない。
敵の陣地に入るからには、
決死の覚悟があったに違いなかった。

 それでも、生け捕りにし、何をしようとしていたか、
または何をしたのか、口を割らせる必要があった。

 相手は斬られた首から血を流し、
胸を強圧されて息が絶え絶えだった。

 心の臓を狙い、ぐりぐりと踏み締める。
 
 次に、一揆の者を蹴飛ばして俯せの姿勢にすると、
組手で両の腕を締め上げ、悲鳴を聞いても許さなかった。

 数発殴って大人しくさせたところで引っ立て、
城で魂胆を調べてくれると思った直後、
仙千代の背に鋭い痛みが走り、
やがて無感覚にも似た痺れが起きた。

 一揆の奴の背に跨って制圧したまま身を捩り(よじり)
半身を向けると、大人の男の脚が視界に入った。

 もう一人居る!……
 
 仙千代は小太刀を男の足の甲に突き刺した。

 痛みを殺すゴオッという野太い声が頭上から落ちた。

 雨をたっぷり含んだ地面が鮮やかな朱の色で染まる。
流れる血潮が誰のものなのか、もう、分からなかった。




 



 


 


 
 


 

 

 


 

 

 

 

 
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