第290話 土倉商(2)

文字数 1,360文字

 堀秀政は信長の近侍として相国寺を宿舎としていて、
佐和山城主の長秀も徳政令の件で京に滞在する間は、
やはり相国寺に泊っていた。
 村井貞勝は、
関白である二条晴良邸の前に屋敷があって、
相国寺からは一里ばかりだが、
孫ほども若い側近の帰りが遅いからと、
京都所司代である貞勝を留め置くことは妥当ではなく、
信長は貞勝に帰宅を促した。

 と、同時に、
いったん姿を消していた勝九郎の声がして、

 「万見仙千代、帰参致しました」

 と、告げた。
 
 仙千代の不在に気付き、
四半刻(しはんとき)しか経っていないというのに、
信長の心は、直ちに馬に乗り、
土倉(どそう)商に自ら駆け付けようという焦れが、
噴出しそうになっていた。
 
 そこに今、待ちかねた報せが入った。

 思わず立ち上がり、

 「仙千代は無事か!」

 と放ちそうになるのを既の所(すんでのところ)で抑えることが出来たのは、
勝九郎の幾らか長閑さ(のどかさ)を含んだ調子のせいだった。
 勝九郎は、
やはり信長の小姓を務めた父である池田恒興同様、
人柄の芯に何とも言えない大らかさがあって、
それが勝九郎の人品を図らずも、よく表していた。

 仙千代を前の中央にして、彦七郎、彦八郎共々、
三人は上段の信長に帰りが遅れたことを詫びた。

 「土倉屋へ参っておったそうだな」

 口調には厳しさを込めた。
微かに汗を滲ませた、
艶めいた肌の生気のある仙千代の顔を見た途端、
溢れ出る安堵が胸に押し寄せると同時、
いつも必ず傍になければならない存在が、
確かに戻ったという甘苦しいような思いが、
却って信長を冷静に振る舞わせた。

 「はっ、上様が仰せの横倉基以(よこくらもとい)より、
こちらを預かって参りました」

 仙千代が書状を差し出した。

 「土倉屋は横倉と申すか」

 「は!」

 音読させるべく、
信長は手筒(てがみ)を勝九郎に渡した。
 その間にも信長は問うた。

 「何をしておったのだ、斯様な(とき)まで」

 怒りをまじえた口振りをしてみせているものの、
脇息に安穏と身を預けていられるような心持ちではなく、
実際、少しばかり前のめりになっている。
 その心境を、
貞勝、長秀、秀政といった側近に見透かされていようが、
構わなかった。
 いくら取り繕っても、
この場に居る貞勝以下には所詮、見抜かれてしまう。

 「下鴨神社で簡単な中食(なかじき)を摂りました後、
二ヵ所、供をさせていただき、
そこで明日の交渉の備えとして、我ら三人が、
所司代殿より書簡を預かり、横倉屋へ向かいました。
面談には及ばずと言い付けられておりました故、
そのつもりでおりましたところ、
やり取りが聴こえたものか、
脇の庭から横倉基以その人が現われ、
右大臣殿の御家来衆を玄関先で帰すわけにはゆかぬと言って、
座敷で甘茶を供され、菓子を頂戴しつつ、
いつしか四方山話と相成りました」

 「甘茶が?」

 「はい、甘茶でごさいました」

 甘茶とは紫陽花の変種の若葉を蒸して揉み、
乾燥させて煎じた飲み物だった。

 「潅仏会(かんぶつえ)近う(ちこう)ございます故、
横倉屋は気を利かせたのでございましょうか」

 と、寺育ちの秀政が言った。

 「灌仏会……
ああ、釈迦の生誕を祝う花まつりか」

 信長にも幼少期の思い出で、
平手政秀に推挙され、
信長の教育に関わった沢彦宗恩(たくげんそうおん)が、
四月八日には必ず法要を営み、
やはり甘茶をふるまっていた記憶があった。

 「何だ、その男はずいぶん仏にかぶれておるの」

 勝九郎が書状を開けたまま所在なげにしているが、
待たせておいた。




 
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