第98話 長島上陸前夜

文字数 1,977文字

 小木江(こきえ)城を落とし、本陣とした信長は、
明日の長島攻めの軍議を丹羽長秀はじめ、
本隊の諸将と済ませると、早々と寝所に入った。

 足軽、雑兵は、
具足を付けたまま小屋掛けや草枕で休むことになるが、
流石に総大将の信長が甲冑姿のまま眠ることはなく、
すべて外すと仙千代、竹丸に身体を拭かせ、

 「今宵はもう休むゆえ、
二人も明日に備え、早く寝るように」

 と言い、横たわると、たちまち眠りに落ちた。
常から寝付きの良い信長が、この日は特別に早く、
褥に入ると直ちに寝息が聞こえた。

 小木江城の天守は望楼と籠城に備えての造りだったので、
信長は本丸御殿に居室と寝所を置いた。

 いつもの岐阜での暮らしと異なり、
本丸の周りを兵達が幾重にも取り巻いて野営をしている。
不寝番は必要なかった。

 仙千代と竹丸は信長の寝所の控えの間で、
枕を並べ、休んだ。
 信長の許しを得て、具足は脱いで、
それぞれの枕元に並べて置いた。
 明朝はふたたび甲冑姿に戻る。

 信長は遠征の際の兵への兵糧を重視して、
末端の雑兵に至るまで配布した。
 一所懸命という言葉にあるように、
各地の大名の力が拮抗していた戦国の世は、
信長が現れるまで、
大名も、武将も、己の領地を守ることに精を出し、
拡大戦略を取って京を目指し、
目の前の敵をすべて撃破し、
蹴散らしてゆくという思考を持ち合わせなかった。
 農繁期になれば「稲刈りがある」と言って撤退し、
冬季には「氷雪で進軍ができぬ」と言って戦を休んだ。
 信長にしてみれば、何を一ヶ所にしがみついている、
稲刈りは百姓に任せれば良いではないか、
雪が嫌ならば暖地へ所領を変えれば良いと、
すべて至極明快な論理で動き、
その達成の為の方策を敷いた。
 
 若い頃から種子島、つまり鉄砲を重視したのもその表れで、
鉄砲は刀剣や槍のような長年の習熟を必要とせず、
戦を点と点、要するに人と人との決闘様式から、
団体戦へと変貌させ、線ですらなく、
面と面の対決へと変え、効率が極めて良かった。

 信長は他の戦国大名を圧倒する速さで領土を広げ、
その都度、主城を変え、
戦闘に特化した家臣団を家族もろとも移住させ、
新たに城下を築いては、更に次の領土を目指した。
 東は美濃 飛騨、西は畿内に至るまで勢力下に置いた今、
信長の生地である勝幡の城ですら、
地理的価値が低いとし、廃城としている。
 信長は革新性を言われるが、
本人は何も新しいことに飛び付いたわけではなく、
ただ合理を追求した結果、今があるだけだった。
 
 とはいえ、戦は、最後は人だった。
戦線の拡大により、
各武将の抱える兵の中に農兵が混じらないわけではないが、
その割合が著しく低い織田軍は、
季節を問わない戦闘能力を有し、
有事には即座に反応をした。
 遠征軍に十分な兵糧を与え、戦闘に集中させるという方式も、
他の大名の思考の中には無いことだった。

 では、それを可能にする為に何をすべきか。
多くの戦国大名が敵からの攻撃を恐れ、
道の整備に不熱心だった。
 信長は逆で、街道整備を盛んに行い、通行税を撤廃し、
物流を良くすることで織田軍が進軍する先々で、
兵糧に困ることがないようにした。
 信長の合戦では、街道筋に多くの露店が出現し、
本陣近くでは娼館まで出る盛況ぶりだった。

 「仙千代。寝たか?」

 「いや、まだ起きてる」

 月明かりが入る薄暗闇の中、疲れた身を横たえて、
微睡むような微睡み切れないような、
不思議な感覚の中に仙千代は居た。

 血飛沫を浴びることのない総大将の傍に付き、
侍る小姓とはいえ、武器、砲台の大音声(だいおんじょう)
兵達の叫び、そして、悲鳴は耳の奥に残る。

 疲れ切っているはずなのに意識が何処かで覚醒していた。

 「仙」

 「うん?」

 「やはり連れてきて下さったな。海へ、殿が」

 目を閉じたまま、仙千代は笑った。

 「うむ。竹が一滴残しで酔いつぶれ、寝込んだ夜、
そんな話をしたな、確かに」

 竹丸は仙千代や彦七郎兄弟と過ごした二夏を愛おしみ、
元旦の夜、「また海へ行けるかな」と呟いていた。

 「やはり、長島の海だった」

 と、竹丸も笑う。

 「なれど、長島の海も鯏浦(うぐいうら)の海も、
はるばる船でやってくる伴天連達の海も、同じ海。
それを思うと不思議じゃな」

 「亡き信興公の居城、この小木江の城の奪還が成り、
殿の御顔に、
安堵と共に弟君への思慕が浮かんでいるように思われた」

 「(えにし)を感じずにはおられない。
竹や彦七郎達と泳ぎ、戯れた鯏浦のあの城に、
あの時、確かに信興公が居られ、
同じ潮風に当たっておられた」

 「それから四年で、童であった我らが今はこうして、
信興公の兄君、殿にお仕えし、
信興公が横死なさった城で休ませていただくとは。
時の流れ……感慨深い……」

 「うむ……」

 襖を隔てた隣室の信長を万一にも起こさぬよう、
小さな声で会話を交わした。
 やがて、竹丸の寝息を聞いたような気がした仙千代も、
深い眠りに落ちていった。
 

 


 





 



 

 
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