第217話 宴の残照(3)

文字数 1,300文字

 「あ奴を……
信濃を仙千代が見る度、妬けておったのだ。
何故、儂以外を見るのかと。
妬心で胸が焼け焦げた」

 信濃とは信濃守(しなのかみ)、つまり荒木村重のことだった。

 「見なければ務めが果たせませぬ」

 「逆に、あ奴が仙を食い見た時は、
その場で首を刎ねて(はねて)やろうかと」

 二人になった途端、
口づけを浴びせてきたのは、
一人の小姓をめぐって嫉妬と優越が媚薬となり、
信長を燃えさせたのだと仙千代は知った。

 「めかし込んで来よったのがまた気に食わぬ。
あの洒落者ぶり、嫌らしいにも程がある」

 自分が招いておきながら、
作法に則った装束で訪れた村重を悪し様に言う信長が、
仙千代は可笑しかった。

 「む?笑うのか。何を笑う」

 「さあ……」

 仙千代は特には答えず、
信長に軽く抱き着き、脚を絡めた。

 「今宵の仙千代は何やら謎めいて……」

 「殿の方がよほど、不思議でございます」

 「そうか?
信濃の洒落者ぶりに隙が無く、
単に少しばかり嫌味を覚えるだけじゃ」

 村重をそのように言う信長は、
畿内の大名達とは味が違うが、
年若い仙千代から見てさえ、
独特の美意識が突出していた。
 その特異性、独創性たるや、
他の戦国大名とは一線を画すもので、
熱田、津島という大きな湊を二つ持ち、
日の本一の穀倉地帯を領地にしていた織田家の経済力が背景にあって、
京から程好く離れていたことも、
その地で育った信長の感性を、
自由なものにしているように思われた。

 例えば、信長が出現するまで、
天守は城の最終防御拠点としての備えであって、
領主達は常は奥御殿に住んでいた。
 信長は小牧山城、岐阜城、
共に天守を当代一流の美術品で豪華に飾り立て、
平素から誰にも見下ろされることのない高所に住まって、
誰がこの世の統治者であるか、
誰にも明白に分かるよう、自身の周囲を美と力で整えた。

 「そこまで仰るのなら、
何故あのような宴を催されたのです」

 宴は、規模は小さいながら格式があり、
村重を下にも置かない扱いで信長は始終相手をし、
ついには城に名まで授けた。

 「それはだな、信濃は使えるからよ。
役に立つ。それが理由だ」

 「それだけなのですか」

 「それだけだ。
何だ、引っ掛かる物言いをして」

 「それならば、
そうなのだということにしておきまする。
万事、殿が仰せの通り」

 「小憎たらしいぞ、その言い様は」

 どの武将の小姓達も明晰であることは当たり前として、
多くは容貌も優れていた。
羽柴秀吉のように衆道に関心の無い者は例外として、
小姓の存在意義を解している高位の武将は、
賢さの上に端正であることを小姓に求めた。
 
 当代一流の数寄者で鳴らす荒木村重は、
伴う小姓達が美しかった。
 仙千代は自分が村重の小姓達に比べ、
美に秀でているのかどうか実のところ、
分からなかった。
 そこには好みというものがあって、
誰かにとって良いものも、
別の者にはそうとは言えない。
 ただ、村重が仙千代を見る眼差しは、
偶さか(たまさか)、他の武将が、
仙千代の容貌を褒めそやす時の他愛ない表情とは違い、
瞳に熱なのか欲なのか、
何やらねっとりしたものを感じ、
仙千代は、
単に照れて赤面するというような反応では終わらせられず、
困惑を覚え、
その感覚はどんよりと重かった。

 














 
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