第262話 氏真 来訪(1)

文字数 891文字

 天正三年弥生の十六日、
今川氏真(うじざね)が信長の宿舎、相国寺を訪れることになった。
 少し前に、予想通り、
氏真の側から使者がやって来て、
此度上洛したので、
是非、目通りを許されたいということだった。

 堀秀政、竹丸、仙千代は合議を進め、
氏真来訪の準備を整えた。
 秀政は寺育ち。
 竹丸は父の与次が、
織田家内で茶の道を究めることを許された、
特別な十人の中の一人。
 二人の存在は仙千代にとって非常に頼もしかった。

 茶頭(さどう)は信長がかねて重用している津田宗及(そうぎゅう)に依頼し、
万事、間違いのないよう差配を仰いだ。
 信長は茶の湯を通じて茶席の道具、
美術工芸品等の財産的価値を高めることで、
貨幣制度の改革を目指すと同時、
政治交渉、論功行賞に使用した。
 信長が津田宗及、今井宗久、千利休ら、
著名茶人に協力させ、
名立たる名器は一国にも等しいという価値観を創造すると、
禅の枠にとらわれない新たな茶の湯の世界が出現した。
 天下の覇者を目指す信長にとり、褒賞の源は、
いくらあっても余ることはない。
 領地を与える、息子を養子に出す、娘を嫁がせる、
これらには自ずと限りがあるが、
領土同様の名品を与えるとなれば、
「名品」は、
信長の鶴の一声と豪商の出である有力茶人の補完によって、
所有する武将や大名の地位、名声の上昇に寄与し、
事実、僻地や生産性の低い土地を貰うより、
よほど喜ばれるのだった。
 
 宗及は二年前には岐阜城へ招かれ、
秘蔵の品を拝することを許され、
歓待を受けるなど、信長は特に親しくしていた。
 
 確かに信長は武辺で名を馳せていた。
とりわけ若い頃には、
俊英の馬廻りも追い付くことができないような
戦い方をしたほどの武将であったが、
一方で、先君 信秀は、朝廷に破格の寄付を行って、
京と行き来を盛んにし、
織田家の家風に茶道歌道の見識を収取することに熱意を見せた。
 (もり)であった平手政秀は、
やはり茶、歌のみならず、
蹴鞠にまで通じた一級の風流人で、
数寄屋造りの邸宅は、滞在した公卿が驚嘆し、
日誌に書き記すほど凝っていた。
 二人から織田家の嫡男として薫陶を受けた信長は、
けして無粋な質でなく、
自身の感性が加わってむしろ独特の審美眼を備えていた。




 
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