第379話 志多羅での軍議(13)献杯

文字数 975文字

 「幾度か参じておる間には、
某かは見聞きしてしまうものでございます。
四郎殿……いや、勝頼は、」

 敵将を敬称で読んだ弘就(ひろなり)を、
信長は気にしなかった。

 「言い慣れておるのであろう、それで良い」

 「はっ。四郎殿の御母堂、諏訪御前は、
敵方の娘ながら、
信玄公の側室として迎えられたという由縁にて、
四郎殿は継室の三条の方の御近侍衆から、
陰では軽んじられる言葉が時に漏れ伝わり、
顕如法主に輿入れの三条の方の妹君の周りでも、
同様でございました。
敵将、四郎勝頼なれど、
一軍の将があのような立ち処、
憐情を覚えぬではありませぬ」

 信長は溜息を吐いた。

 「信玄も、
貴族の娘など娶る故、面倒なことになる。
三条の方とやら、
大臣家の上の序列の出であろう。
武田は甲斐源氏棟梁の家柄にして、
公卿、法主の一族と縁を結び、
家内を却って不安定にさせた。
(つま)の家に何事か口出しされるなど真っ平じゃ。
出羽介(でわのすけ)殿も松姫と手切れとなって、
良かったのだ。
よもや松姫が織田家の子を産んでおったら、
一段と七面倒くさい話になっていた」

 信忠の心中を酌んで、
これには誰も同調のなりを潜め、押し黙った。

 弘就が話を戻した。

 「此度の出征前、
聞き及びますところによれば、
武田家として四郎殿に対し、
官位を授かれまいかと猟官の動きがあった由」

 信長が何ということでも無いという風情で、

 「余が潰した。勝頼は無官だ。
内裏の荒廃をあるがままに放置し、
公卿衆が困窮しておろうとも、
援けずにおった武田家に何故、官位を与える。
であろう?」

 織田家の威勢に乗じて、
既に信忠は秋田出羽介という、
武家にとっては伝統の名誉ある地位を得ていた。

 「何もかも、
嚙み合わせの悪いことになっておるよな、
武田の家は」

 信長の五男、御坊丸が、
人質として甲斐に住まっているが、
信長の口の端に御坊丸は一切乗らない。
 仙千代は、そこにむしろ、
信長の父としての顏を見ていた。

 やがて、螻蛄(おけら)の声が聴かれ始めた。
志多羅の雨は止んだのだった。

 信長は仙千代に目配せし、
酒と盃を持って来させた。

 「さりとて、絶対優勢というものはない。
今夜は雨雲を追い、雷鳴に向かう行軍。
兵達の士気を下げぬよう、
各々方、大将自ら範を示し、
古武士とはこれぞという活躍を期す」

 盃を与えられた家康、忠次、可近、弘就、
そして藤助は信長自らの酌を受け、
恐縮しつつも有り難く一献を賜った。






 

 





 



 




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